お寄せいただいたメッセージ(国内編)その3

古賀小夜子/歯科医師
軽度発達障害の息子も中学校長から〝何回言われてもできんから殴ったんだ殴ったのが何が悪いか”と言われました。出来ないことは罰を受けて当然と学校では教えているのだろうか。悲しみが止まりません。

内藤 美那子/新宿区手をつなぐ親の会 会長
被害に遭われ亡くなられた方々に心よりご冥福をお祈りするとともに、ご家族の皆様にはお悔やみ申し上げます。また、怪我をされ治療に当たられている方々の一日も早いご回復をお祈り申し上げます。またこの事件を受けて多くの障害者が深く傷ついております。本当にひどい事件です。
障害の有無に関係なくいきいきと生きていく権利は当然誰にでもあります。
一人ひとりを大切にする社会を目指して、障害者が安心して安全に暮らしていけるように、私たち親の会では地域に向けた理解啓発活動をさらに推し進めてまいりたいと思います。”

川越/保護者、介護士
亡くなられた障害者の方々のことを思うと涙がぽろぽろと流れてきます。
亡くなられたみなさんどんな思いであったのか。
人として生活できていたのか。
ある意味、犯罪者は障害者。の中でも重度のコミニュケーションがとれない方々の生活を冷静に見て感じたのだと思う。
亡くなられたみなさんは、人として生活、あなたとして語りかけてくれていたのかな。と。
話ができない。通じない。と感じたらあなたと話はしなくなる人も多いはず。
私の子どもがそのような扱いをされてると思うとギュッと胸が締めつけられる。私の子どもも同じ重度心身障害者でコミニュケーションがとれない。
でも、表情で気持ちを教えてくれる。あなたとして語りかけてくれたら、何かの方法で返してくれる。
施設など人手が足りないと言われるとそこまでできないのかな。
犯罪者は、コミニュケーションをとれない重度心身障害者を勝手に不幸と決めつけた。
許せない。
亡くなられた障害者のみなさんのこと想ってます。御冥福をお祈りします。

高島 響子/東京大学医科学研究所 特任研究員
何もかもがショックな事件でどう受け止めたらいいのかまだ整理できずにいます。元従業員が起こしたという点に一層引っかかりを感じています。

森 信太郎
実の弟が重度の知的障害を抱えており、施設に通っております。障害を持つ者の家族として。日本国民として。一人の人間として。深く傷つき、無力感に襲われています。会場の皆さんと思いを共有したい。そうしなければ、一人では心が折れてしまいそうです。

ミラーボール/神奈川県内の知的障害者福祉サービス事業所の所長です。
当日は別の当事者活動行事のお手伝いがあり参加できませんが、主旨に賛同したのでメッセージを送らせていただきます。
先日、千木良の献花台へお花を供えに行き、犠牲となられた方のご冥福と、ケガをされた方の早い回復をお祈りしてきました。報道陣はまだまだ園内を撮影するため脚立を並べ、出入りする献花弔問客を囲み、被害に遭ったご家族や未だ中で生活する利用者のプライバシー保護などへの配慮は見られない状況でした。普段は無関心どころか、私たちを避けて通るほどの「一般の彼ら」が、今回の事件に好奇心むき出しに集まってくる姿に恐怖感すら覚えました。
現場となった施設での状況を報道で知っている方も多いと思いますが、汚された施設内は、現場検証もきちんとできていない現在の状況下では部屋や私物の持ち出しも制限され、利用者さんたちは体育館などで避難生活を送っています。
ご存知の通り、県内でもかなり重度の行動障害を持った方たちですので、普段通りの定型化されたパターンが大切な方たちの暮らしが大きく崩れた状態です。
運営法人が他の事業所で受けられる方を一時移動してもらい、スタッフ総出で片付けと入院中のけが人の対応に当たっていますが、今の場所で、そのままの部屋に、また戻ることは、正しい支援でしょうか。
どうしたら良いのでしょう。新しく建て直すとしても、時間と場所、予算の問題があります。160名規模の大規模施設です。予算も相当な規模となるでしょう。知的障害者支援の分野では、これまでの収容から、地域へを合言葉に推進してきた流れが、今回の事件で今度は安全確保のための保護、閉鎖に繋がるのではないかと不安が大きくあります。私たち運営する立場にとって、2重3重に課題を突き付けられています。
生きる意味や、存在の価値を一方的に決められ就寝中に襲われ、言葉もなく死んでいった彼らを想像すると言葉もありません。また、同業者として、当時勤務していたスタッフのことも、当時の状況を思うと、本当に心が痛みます。
たくさんの生き方や暮らしかた、考え方を認められる世の中になっている現代の生活を、私自身も十二分に享受しているつもりです。海外からの弔文に、”センスレス”と言う言葉が使われていたことに膝を打つ思いです。人の命を自身の勝手な価値観で殺めるような、”人の生を想う”ことができない犯罪を許せません。
精神を病んだ人が、更に弱い知的障害の方を殺めるような価値観を認めることが多様性でしょうか。こんな独りよがりな価値観を持つ人が出てくるようであれば、私たちが夢想してきた多様性社会の実現は遠いように思います。いま生きるすべての人が、自分と相手、お互いの生を認めあえるような社会を、どうやって作って行けるでしょうか。自問自答しています

茂田 誠邦/僧侶・社会福祉法人勤務
人間はそれぞれの特性や個性を持って生まれてきます。それははまた、それぞれの「魂」がそれぞれの目的を持って地球にやってくるのと同義ではないかと思います。親を選び、環境を選んで生まれて来た私たちは、やがて名前を付けられます。どこの国に住んでいて、どんな人種でも、どんな環境にいても個人の名前で呼ばれています。そして、名前で呼ばれるということは人間としての尊厳を表していることではないでしょうか。
それは、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で殺された人たちも、事件を起こした若者も同じであると思われますが、殺された人たち19人の名前が分かりません。施設ではそれぞれ名前で呼ばれていたはずであるにもかかわらず、今、私たちが知ることは、「19 人の犠牲者」でしかありません。彼ら彼女らには、それぞれに人生があったはずです、それぞれには多様な人生の目的があったはずですが、しかしながら「19 人の犠牲者」一人一人を私たちは悼むことができません。名前を出せない理由は察しがつきます。差別や偏見が社会に覆われています。話すことが出来ない人、見ることが出来ない人、動くことが出来ない人もいるでしょう。彼ら彼女らは今の社会に出された途端に邪魔な存在になります。ひとりでは生きていけず、面倒見られる存在になります。そのため、彼ら彼女らは、社会の余計者たちであり、不必要な存在であるとみなされてしまうのです。彼ら彼女らは単に殺されたのではなく、今回の凄惨な事件での被害者であるにもかかわらず、社会に名前も出せない存在であるとのレッテルを貼られ、人間として生まれ出て、生きていたかという、人間としての尊厳さえも世間的に抹殺されたことになってしまったのです。
彼ら彼女らは殺されるために生まれて来たのではない。彼ら彼女らの「魂」は私たちと同じです。生きとし生けるもの「魂」の優劣はないのです。名前を呼んであげることがこの世で生きて来た一つの証しになるのではないでしょうか。”

植木 是/社会福祉士
被害に遭われ亡くなられた方々に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。ご家族の皆様には、心よりお悔やみ申し上げます。また、怪我をされ治療に当たら れている方々の一日も早いご回復と、未だに平穏ならぬ生活を余儀なくされている方々の安心安全なくらしの場が一刻も早く保障されますよう、心よりお祈り申し上げます。この世に、二度と、このような悲劇が繰り返されることがないように、心からお祈り申し上げます。一生懸命、障がいのある方々とともに、よりよい生活の実現に向けて活動されてきた支援現場の方々、これまでどおり、その信念を貫き通して頑張ってください、私もいま、これから、何ができるのか、少しずつ考えながら、活動していきたいと思います。

善方裕美/よしかた産婦人科 副院長
私は19名の尊い命が犠牲になったことに深く哀悼の意を表明します。この犯罪行為に対し、共感を示すような者たちに強く抗議します。全ての命は尊く、生産性や社会的評価によって差別されるべきではないと考えます。

大月 千草
福祉、医療の、過度な効率化が、個人の人間性を傷つけてしまうことに、自覚する時では、ないでしょうか。組織である前に、私たちは、一人ひとりの人間であることを、考えれば、一律の組織の、当たり前とされていることが、多様な個人に、当てはまるとは、とても考えられません。追悼集会において、個人の尊厳を尊重するとともに、不適切であるものを、その都度、見直していくことが、すべての人のいのちと尊厳が守られる未来につながることを、お祈りして、犠牲となられた方々に、こころより、哀悼の意を示します。

徳永充代/放送大学学生
障がいを抱えているから、社会から排除されるのは、偏見であり、差別です。1人1人性格が異なるように、人となりを大切にして欲しい。また、時計の針が半世紀以上も巻き戻されては、たまったもんじゃない。そう、私も思います。私は、双極性感情障害で通院しています。面接でも、よく色眼鏡で見られます。だから、このことをキッカケに立ち上がるべきだと思っています。黙っていられません。

菅倫樹/建設業
私も身体障がい者です。このような事件があると悲しく思います。このようなことが今後ないように、政府も考えて欲しいです。亡くられた人達もご冥福を祈ります。

小林 みどり
犠牲になられた19名の方々に哀悼の気持ちを捧げます。また負傷された方々が早く回復されますことをお祈りいたします。このような恐ろしい事件が起こってしまったことはなぜなのかと思い、考えていこうと思います。

石川れい子/編集・執筆
事件の報に衝撃を受け、深い悲しみにとらわれました。恐怖のうちに亡くなられたであろう方々のご冥福をお祈りしています。今後、事件の背景についてていねいに議論を重ね、誰もが安心して生活できる社会をつくるためにどうしたらいいか、知恵を出し合っていく必要を感じています。

津村 隆/会社員
言葉がありません。

後藤 郁夫
人の生に対して優劣をつけるような社会の価値観、意識を押しとどめ、より良い方向に改善させていくためには何が必要なのか、あらためて知りたいし、可能なことから実践していきたいと思います。

目黒健太/「民主青年新聞」編集局
日本を、一人ひとりの命を脅かす社会にさせたくありません。
そのために、あらゆる差別、偏見、抑圧に抗議することを、私はやめません。

田中 弘明/(社福)大阪府障害者福祉事業団
亡くなられた入所者の皆様、ご家族のことを思うと言葉にならない悲しみと怒りで一杯です。
そして、職員の皆さんのご心痛は大変なものだと拝察します。
この度の事件は人間の尊厳を、福祉を根本的に否定する、決して許すことのできない行為です。
福祉を志す者として、決して選挙には他人事ではありません。
被害に遭われた皆様の悲しみをすこしでも共有できれば、と思い、今回参加させていただきます。

瀬戸山陽子/東京医科大学医学部看護学科・講師
私も、先の事件には言葉にならない衝撃を受けた一人です。理不尽さと卑劣さを感じ、怒りと悲しみで体が震えました。ただ卑劣な暴力が、これまで多くの人の努力によって獲得されてきた、全ての人が健やかに生きる権利を、奪えるものであるとは決して思いません。
今回亡くなられた方に、心からのお悔やみと、安らかに眠られることをお祈りいたします。また、怪我をされた方々の一日も早い回復を願うとともに、ご家族の方々、園の職員の方々、地域にお住いの方々に、少しでも早く穏やかな生活が戻ってくることを、強く祈念いたします。
そして、障害だけでなく、病いを持つ人、様々なハンデを持つ人が共生できる豊かな社会を形作るために、微力ではありますが、自分自身も地道に努力を重ねることを、ここに誓いたいと思います。

永沼志保
最初は精神障害者の私が殺されるとビクビクしたけど私も措置入院経験あり。

鈴木 鉄哉/神奈川県立保土ケ谷養護学校 教諭
すべての人々が暮らしやすい社会、すべての人を包摂する社会を望んでいます。

さーやん
私の母が介護施設に勤務しています。他人事とは思えません。この事件、もっと国全体で「振り返り」をするべきでは…?何かサラッと風化しそうで怖いです。

藤井慧太/医療職
ただひたすら、無念に虚しく感じております。虚しさに溺れてしまいそうですが、せめて今回のことから、微々たるものでも学ばせて頂き、今後の社会作りに最善を尽くします。

矢ヶ部 昌嗣(ヤカベ マサシ)/新日鐵住金㈱人事労政部
この事件に心を痛めておりました。そして、熊谷先生のfacebookを拝見して、更に胸が苦しくなりました。自分に何ができるのか、何をすべきかも考えられてはおりませんが、熊谷先生の呼びかけに心から賛同し、参加させて頂きます。

熱田弘幸/DPI
In the background of this incident it has become a double-triple structure of the disability discrimination.

宮田 乃有/訪問看護師
被害に遭われた方々とご家族、関係者の皆様に心より哀悼の意を表します。
私たちは誰もが、他者の手を得ずに生を全うすることはできません。
重度の障害をもって生まれるのは自分だったかもしれず、我が子であったかもしれません。ある日突然、事故や病気で四肢の自由を失ったり、加齢に伴って意思の疎通が困難になることもあります。生きていくなかで、心を病むことも無縁ではありません。
障害があることに対する心ない言動に不安を感じ、やり場のない悲しさに胸が痛みます。被害に遭われた方々の多くが匿名であることに、皆様のこれまでの苦悩と、社会の不甲斐なさを感じています。病気や障害があっても、施設を含め地域でともに暮らすことが当たり前になるよう、私も微力ながら努めていきたいと思います。
献花や追悼集会に伺うことはかないませんが、心を寄せてご冥福をお祈りします。また、心身に傷を負われた方々が、一日も早く穏やかな暮らしを取り戻されますよう、願っております。

国久仁美/ノエビア池田南販社
この事件は、本当に私の心にも深く鉛ができています。心に傷を負いました。なぜなら私も統合失調症だからです。犯人が、精神疾患だとか差別をする人もいますが、それも大なり小なり犯人がやった優生思想だということ。少しずつですが、マイノリティを排除する流れがあったので、ついに来たかと、ニュースを聞いた時、重い現実が私にのしかかってきました。
この根本的解決は、「障害者」というレッテルを取り除き、1人の「人」として接して、弱者や使えない人などという、偏見を無くすのが大事だと思いました。私もカミングアウトする時、みんなに危ないやつという見方をされるのが辛いです。かといって隠すのも、偏見を助長させること。障害者はかわいそうなひとでもないし、社会では使えない人ではない。当たり前の綺麗事になりますが、偏見を取り除くことが、根本的解決と思います。障害者も人権があるのだから。

中根教善/三重県
ただただ御冥福をお祈り申し上げます。

山本由美子/大阪府立大学・立命館大学
犠牲となったひとりひとりの方々に心より哀悼の意を表します。皆様の無念と悲しみと怒りをわたしたちは伝えていかなければなりません。

いけだたかこ
被害者側、加害者側どっちも他人事と思えません。誰かを悲しませる事が決してないように、自分自身をしっかり見つめなおそうと思います。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ケガをされた方々、ご遺族の方々、世界中で泣いている誰か、それから自分も、希望をなくすことなく、絶対に間違ってはいけないマチガイをしてしまう事なく、すすんでいけますように…

飯田一弘
Facebookのシェアで、こちらの追悼集会の存在を知りました。残念ながら参加できませんが、ひと言メッセージを送らせていただきたいと思いました。
私は、この事件のニュースに触れて、これまではあまりに当たり前すぎて、改めて言葉にするまでもないと思っていたことが、当たり前とはいえない世の中になったのだな、と感じました。なので、それを当たり前の状態に戻すために、これからはそれを意識して言葉にし、行動として示していく必要があると思っています。
私の力はささやかですが、私の力が及ぶ限りで行動します。すべての人が平和に心やすらかに生きられるように。”

イシダ シュウ/東大大学院生
まず、亡くなられた方々にお悔やみ申し上げますとともに、此度の事件によって身体的・精神的に傷つかれたすべての方々にお見舞い申し上げます。
重度障害者が世界からいなくなれば世界はもっと楽になる、という、残酷かつ独善的な結論を安易に引き出して、罪のない人々を殺傷し、あまつさえそれが正義だと言わんばかりに堂々としている容疑者に対し、強い憤りを覚えます。
私は障害研究に携わる者の端くれとして、此度の事件をどう考えればよいのかをずっと迷っておりました。と言いますのは、第一にはもちろん容疑者が持つ重度障害者排除の思想が問題視されますけれども、第二には容疑者の「精神障害」に関する煽動的な報じられ方、また第三には(容疑者の主張には与しないとはいえ)ケア労働者の置かれた過酷な労働環境、これらの主題はどれも無視されるべきではないものであろうと考えるからです。そして厄介なことに、此度の事件に限らず、こうした複数の論点についてのそれぞれの主張は部分的に対立・抵触します。このことが障害者運動と他の運動との衝突を招いてきたことは歴史上の事実です。
此度の事件は、障害当事者やケア従事者を中心に、大きな衝撃をもたらす悲惨な事件でしたし、加えて、容疑者を英雄視する一部の声を見るに、障害者の社会的な地位については相変わらず不安が拭えません。しかし、上で挙げたことから、ただ「障害者を差別するな」と言っているだけでは埒が明かない問題だとも感じています。これから何をどうしたらよいのか私はまだ明確な答えを持ちあわせておりませんが、どうかこの事件が一つの歴史の転換点として「最後の障害者殺し」と教科書に書かれることを願っています。

若原孝枝/パート保育士
この度犠牲になられた方々に哀悼の意を表すると共に御遺族の方の深い哀しみを考え胸が痛みます。
兄が自閉症で施設に御世話になっております。
事件以来、私も不安です。この国にある差別の改善を願います。”

市野川容孝/東京大学・教授
犠牲となった19名の方々に、まず深い哀悼の意を表します。そして、負傷された26名の方々の回復を祈っています。
福島智さんは、今回の事件に「優生思想」と「ヘイトクライム」の2つの要素を見るべきだとおっしゃった(東京新聞、2016年7月30日付、朝刊)。今回の事件を、ヘイトクライムの1点のみで理解しようとする人も少なくないようですが、しかし、それは日本の障害者運動がこれまで様々な形で対決してきた優生思想という、もう1つの要素への無理解を意味するように私には思えます。
優生思想と対決しながら、日本の障害者政策が、障害をもつ様々な当事者の努力によって、どう変えられてきたのか。何を守ってゆかねばならないのか。そして、まだ何を変えてゆくべきなのか──。亡くなった方々への哀悼とともに、集会では、そういうことが参加者の皆さんによって、あらためて問い直され、考えられると思います。”

宮本皐(みやもと・さつき)/大学院生
亡くなった方々のご冥福を心からお祈りいたします。「声にならない声」にも静かに耳を傾ける姿勢を保ち、憤らず、おごらず、あせらなくていい、生きやすい社会を作るために、「一緒に生きよう」と声をあげたいです。集られた皆さんとともに、本日の集会に気持ちを捧げます。

横田恵理子/慶應義塾大学薬学部
今回の事件の第一報を聞いた時、正直しばらくの間理解できませんでした。
どうして、こんなことができるのでしょうか。
そして、さらにショックだったのは、被害者のお名前が出なかったことです。
報道で、ご遺族の方々のご意向と聞きました。
今まで、どれほどの偏見にさらされていらっしゃったのか。
生きていることは、それだけで素晴らしいことなのに。
あたりまえのことですが、それすらないがしろにされるこの社会は、おかしい。改めて、実感しました。
ご遺族の方、そして今回の事件で影響を受けざるを得ない方々、どうぞ振り回されることなく、日々の生活を大切にお過ごしください。
今回のことに動揺することなく、日々の生活を大切にすごすことによってのみ、このような非道な偏見を退けることができるのです。
私はそう考えます。

桑原斉/東京大学バリアフリー支援室・准教授
1 全ては推測の域を出ませんが、精神科医の立場で①②のコメントをいたします。
①容疑者と優生思想
容疑者は精神病状態である可能性があります(世間でもそう思われていると思いますが)。精神病状態の原因が薬剤か(大麻か他の薬剤か不詳、大麻単体で精神病状態になることは比較的まれな印象)統合失調症あるいは躁うつ病かは不詳です。精神病状態では原則として、現実見当識が低下していると考えられます。つまり社会の常識を病的に失い、結果として非常識な言動・行動を取る可能性があると見做されます。従って、むしろ優生思想的な動機を語ると言うことは、社会の常識に反しているので、容疑者は現実見当識を欠いていると、解釈されても良いかもしれません。

②犯罪の過度な医療化と措置入院
措置入院は、本人の同意なく自由を奪う極めて特殊な医療行為であり、自傷・他害の恐れがあるという確認可能な言動・行動で要件を判断する一方で、内省の欠如など確認が出来ない内面のみでは、自由を奪うことの正当な理由を明示できないという事情があります。
容疑者が入院病棟で言動・行動面の異常を示さなかったのであれば、実際には内面的な現実見当識が不十分であっても措置入院の継続は難しかったのかもしれません。この部分の検証が必要だと思います。
現代の医学では人権の観点から乗り越えられないはずの壁を、措置入院制度(医療)において乗り越える方向に進むとしたら、それが医療と人権の接点におけるいびつな事態になることを危惧します。司法(医療観察法を含む)における対応の幅を同時に検討する必要があると思います。

2 以下は、概ね一市民としての感想です。
社会の常識を病的に失った(かもしれない)容疑者の言動・行動から、“少なからずこの国に蔓延しつつある思潮の影響を受けた優性思想的な容疑者の動機”と推測することはミスリーディングになるかもしれません。一方で、この推測が生じる背景として、他者の本質的な良心を信じたいという気持ちに基づいたattitudeを社会が持つことは出来るのか、出来ないのではないか?という不安があるかもしれません。
施設の安全管理強化、薬物使用の厳罰化や、犯罪の過度な医療化、その他の対応が真に効果的(人権を含めた総合的なリスク-ベネフィットの観点から)であるなら、実施を拒む理由はありません。ただ、もしも社会に存在する不安を減じるということをベネフィットとして加算した上での判断であるとしたら、それはむしろ不安の回避というコンポーネントを持ち、社会におけるattitudinalな環境に対する不安を増悪させるリスクを負っているかもしれないと思われます。
精神科医は、病気や建前に基づく行動はある程度コントロールできても、attitudeをコントロールすることは至難です。なので、この不安を根本的に取り除く専門的な手立てを提示できないことに歯がゆさを覚えます。
他者の本質的な良心を信じたいという気持ちに基づいたattitude、あるいは自分の本質的な良心を信じたいという気持ちに基づいたidentity。もしも、社会と自分を信じることができるのであれば、今回の事件から見える景色は変わるかもしれないと思っております(私にはまだ見えていませんが)。
最後に、背景はともあれ、被害に遭われた方々が被った理不尽な仕打ち、ご家族、関係者の無念は事実として間違いなく存在すると思います。全ての被害者に、哀悼の意を表し、回復を祈念いたします。

大野峻
差別への抗議も差別も「両方ともに平等なひとつの意見」として冷静に処理できること、この国の思潮に寄り添ってものを語ることこそが「中立的」なこととされ、そうした差別の数々に自らの存在の根底を揺さぶられる人の存在は隅に追いやられていく、そんな昨今の風潮にノーを突きつけ続けたいと思います。

上原優子/精神保健福祉士
今回の事件によって、深い悲しみの中にいる全ての人に哀悼の意を捧げたいと思います。
私は、この悲しみを忘れません。そして、力強く誓います。命あるものみな同じ魂を持ち、同じ人としての尊厳を有しています。共生し、協働し、連帯し、この尊厳が侵されない社会を築いていくことを誓い、努力していきます。
天に召された方々においては御霊の安らかなることを。傷ついた方々には、1日も早い回復を心よりお祈り申し上げます。

熊木千恵子/NPO法人楠の木学園・支援員
事件について考えようとすると、失われたものの大きさに思考も気持ちもストップしてしまいます。傷つけられた方々に心を寄せ、事件について考えていくために、追悼集会に足を運びます。

福山幹夫/無職 元都立高校教員
「われわれは以下を信じ、かつ宣言する。
すべての子どもは誰であれ、教育を受ける基本的権利をもち、また、受容できる学習レベルに到達し、かつ維持する機会が与えられなければならず、
すべての子どもは、ユニークな特性、関心、能力および学習のニーズをもっており、
教育システムはきわめて多様なこうした特性やニーズを考慮にいれて計画・立案され、教育計画が実施されなければならず、
特別な教育的ニーズをもつ子どもたちは、彼らのニーズに合致できる児童中心の教育学の枠内で調整する、通常の学校にアクセスしなければならず、
このインクルーシブ志向をもつ通常の学校こそ、差別的態度と戦い、すべての人を喜んで受け入れる地域社会をつくり上げ、インクルーシブ社会を築き上げ、万人のための教育を達成する最も効果的な手段であり、さらにそれらは、大多数の子どもたちに効果的な教育を提供し、全教育システムの効率を高め、ついには費用対効果の高いものとする。」(サラマンカ宣言1994 UNESCO)
このインクルーシブ教育を高らかに謳ったサラマンカ宣言より前、1979年私が初めて担任した都立定時制高校のクラスに車椅子の進行性筋ジストロフィーの生徒がいて、4年間クラスメートとボランティアによる介助を得ながら充実した学校生活を送り、大学の福祉学科に進学していった。その頃から都立高校には脳性麻痺、ダウン症、多動性自閉症、アスペルガー症などと診断された多様な子供たちが入学し卒業していった。途中から都知事はとんでもない発言をするものに変わったとはいえ、こうした都立高校のあり方は、ハンディのある生徒本人だけではなく、それらのハンディも一つの個性として受容し「差別的態度と戦い、すべての人を喜んで受け入れる地域社会の形成」という意味でクラスメートそして教師、学校職員、保護者にとっても大変有意義な学習の場であったと信ずる。
相模原の神奈川県立津久井やまゆり園で起きた殺傷事件。多くの人々とともに、わたしも暗澹たる思いが続いている。どうしてこの国でこのような卑劣でおぞましい事件が起きたのか、自分なりにゆっくり考えたい。
一つ言えることは、日本の文科省と教育委員会は、サラマンカ宣言のインクルーシブ教育を換骨奪胎し、「養護学校」を「特別支援学校」と名称変更しただけで、宣言が掲げる「包摂」「万人のための教育」「通常の学校」を否定し、事実上の分離教育をこの間進めてきたということだ。この事件の容疑者が小学校から大学までをこの社会で過ごして小学校教員免許を取得し、特別支援学校への就職まで希望しながら、なぜこの「手紙」に記された「障害者」への偏見と差別感を募らせ「抹殺」さえ唱えるに至ったのか、本人の思想や病理だけではなくその社会的背景を突き詰め、解明することが大切なのではないだろうか。”

清水麻里/介護福祉士
言葉もない。ので行動で変化したい。(自分が)

石井喜美江/リエンゲージメント就労移行支援サービス管理責任者
ネットのニュースの見出しで、犯人の特異性という文字をみました。
特異性を見いだしたからといって、実際には障害を持っている方は、平穏を取り戻すことはないのだとわかります。
世間には少なからず、今回の優性思想的な考えがあるという現実を知っているから。
それを改めて突きつけられたように感じているのではないでしょうか?
障害に対する認識以前に私たちの無意識にある価値観考える方が既に歪んでしまっているような気がしています。そこを直視できると変わってくるのではないかと考えます。”

阿部志織/保育士
私もPTSDや喘息を抱えながら生きています。弱い所がある人が排除される社会は、とても生きづらいです。そして、今の社会はそういった傾向があることを、知ってほしいです。

石原健太郎/相談支援事業所すろ~らいふ
犠牲となった19名の方々に心より哀悼の意を表するとともに、被害にあわれた方々の順調な回復をお祈り申し上げます。
私は相談支援事業所の相談支援専門員です。私たち相談員は外へ出て、クライエントの様々なフォローアップやアフターケアに邁進して参りたいと改めて思いました。”

高岸真紀夫/株式会社るーと
二度とこんなことが起こらない世の中にしなければいけないと思います。みんなが少しずつ優しい気持ちをもてば、変わると思います。
ご冥福をお祈りいたします。
障害児を含む3人の子の父より。

本郷 健一/会社員
幼い頃、母が知的障碍のあるかたたちの施設の職員でしたので、そういう子どもたちとよく遊びました。その人たちが大人になって、老いた親御さんが守りきれなくなって、泣く泣く施設にお預けしお願いしていた姿も、障碍者ご自身がとても悲しげだったのも、よく覚えています。
不当に命を奪われたご本人、そしてその親御さんたちのお気持ちを想像し、こんなに切なく悔しいことはありません。
こんなことが絶対に許されない、絶対に起こりえない世の中であってくれることを、いま切に祈っております。”

斎藤太郎/看護師
多くの方々と追悼したいと思います。時代の逆行を許さない為にも。

田中昌美
犠牲となってしまわれた19名の方々のご冥福をお祈り致します。そして被害に遭われた方々の1日も早い回復をお祈り致します。
私も脳腫瘍の手術の後遺症で高次機能障害と闘っており、障害者認定を受け今生活しております。まだまだ私は重度の方に比べたら身体が動く事やこの様に文章を考えそして伝える事が出来る様になったので有難く感じますがこの世の中障害者にはとても厳しい現実であると改めて感じます。人の痛みの分かる人間を育てる事は今や当たり前の事過ぎて教育現場ではどの様な教育をしているのだろうか。当たり前の事が当たり前に出来ない世の中。常識が今や非常識となりつつある世の中。何故障害者はこんな冷たい視線を感じなければならないのか。そしてどーしてこの様な悲しい事件が起こるのか。正直私も外へ出るのが怖い。でもそれでも何かを発信して行かねければ先には進めない世の中。それが現実。それを受け止めるしかない。
追悼集会へは行けませんがこの会がほんの小さな事でもいい。何かが変わるきっかけになってくれる事を願っております。

弓削香織/静岡県立吉田特別支援学校・教諭
私もすべての人のいのちと尊厳が守られる未来を目指すことをここに誓います。亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。また事件に遭遇した皆様、ご家族の皆様、関係の皆様に謹んでお悔やみ申し上げます。誰もが幸せな人生を送ることができるように、お互いに支え合って生きていけるように、私も微力ながら努力を続けていきたいと思っています。皆の傷ついた心が少しでも癒されることを願って。

金田 栄路
理不尽に命を奪われた方々の、御冥福を心より、お祈り申し上げます。

秋葉昌史/医療法人 光愛会 光愛病院 作業療法士
強い不安がベースにある社会で今、他者を排斥することに対して人々の抵抗がどんどん弱くなっていると思います。この思潮を止める、変えるために自分たちがすべきこと、できることは何か?それが知りたいです。社会を作っているのは我々、だから社会を変えるのは我々しかいない。まず自分を変えるという一歩から踏んでいこうと思います。

神久真美恵/特養の介護福祉士(社会福祉士、精神保健福祉士資格者)
この度の事件について哀悼の意を表するとともに、今の社会において、このような事件が発生したこと、大変衝撃と動揺を感じています。誰もが安心して幸せに暮らせる社会を、社会全体で取り組み、その実現を心より願います。

前本達男(まえもとたつお)/特定非営利活動法人コスモスの花 理事長 小児科医
■言葉がなく、ただただ悲しいです。つらかったろうに、痛かったろうに。
■ここで立ち止まることなく、怯むこともなく、今運営している障害児施設を通して、これからもずっと君たちのそばにいるからね、と、心の奥底から伝えたいです。この気持ちは、とてもやり切れないもので、社会の多数派にも所属している自分自身の欺瞞性も同時にあぶり出します。この刺さる気持ちは一生持ち続けるだろうし、これを抱え込みながらなお、一緒に生き一緒に死ぬと祈りを込めて、これからも活動を続けていこうと思います。

伴野 由美子
謹んで心からお悔やみ申し上げます。お亡くなりになられた方々の御冥福をお祈りいたしますと共に、今回の事件で傷つかられた方々の心が癒されますように。

美濃部 薫/グループホーム立花生活支援員
障がいのある7人の若者と暮らしています
心の底から震えるような怖さを覚えました
私はこの人たちを守ることができるのだろうか…と
このようなことが起こらない社会を懸命に築いていくことを、亡くなられた方、また体や心に深い傷を負われた方へお約束させていただきます
心よりご冥福をお祈りし、また一日の早いご回復をお祈りしております”

Miyamoto Yasuko/よこはまユース
考えの至らぬ言動で、人が傷つくことがないよう、人が生きる権利を侵害することのないよう、、、祈ります。

加賀成子/介護職
みんなで支えあって、生きていきましょう。

吉田明彦/精神障害当事者
亡くなった19名の方々を悼み、負傷された26人の方々の回復をお祈り申し上げます。障害者差別の撤廃のために闘い抜くことをお誓い申し上げます。

木下あいの
加害者を簡単に悪と切り捨てるのではなく、丁寧に医学的に捉える必要性を強く感じました。多くの異物をその内側に取り込める社会が、私たちの目標であることを確認しあいたく存じます。

亀田健司/栃木県立南那須特別支援学校教諭
元知的障害者入所施設職員で、現在特別支援学校に勤務しております。また、私自身がうつと発達障害をもつ障害者です。支援者であり当事者でもある立場から、この事件には非常に残念でなりません。亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

上田誠/障害児放課後ディサービス
ないハズの「健常者」観念にいつまでもとらわれたままの健常者は、決して障が者への差別、虐待、殺人をやめようとしません。最近、障がい者、健常者という二元論で語る風潮が特に強くなってることを危惧しています。道行く健常者の中にこそ、差別、虐待があり、自身に強く問いかけることが何よりも大切と感じています。

市田 真依子/重複障害者
ひとり暮らしをしている重複障害者です。地元は相模原市ですが、まわりの人たちは変わらずに接してくれるので、これからも此処でふんばります。
自分とまわりの人たちを大切に、きずなを信じてがんばりましょう (^。^)ノ”

小島弥咲/主婦
私は、熊本市内住みの者です。とても、言葉にすらならない程のことかと察します。ニュースを見ているだけで、何もできない虚しさが申し訳ない気持ちでいっぱいです。こちらもまだまだ、全然先に進まず、県民は普通に暮らしているように見えますが、四苦八苦しながら前だけを見て、支えあいながら生きています。また、沢山の方々のおかげで、今熊本が成り立っているのも事実。自分だけが、苦しいと思わず、沢山の方へ耳を傾け、自分にできことをと思い、まずはメッセージまでに。

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メッセージ国内編その1
メッセージ国内編その2
メッセージ国内編その3
メッセージ国内編その4
メッセージ国内編その5
メッセージ国内編その6
メッセージ海外編その1
メッセージ海外編その2
メッセージ海外編その3
メッセージ海外編その4
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