お寄せいただいたメッセージ(国内編)その6

崎本麻衣/リンクよこはま訪問看護ステーション 作業療法士
とても痛ましく、事件のことを考えると悲しくて悔しくて涙が出ます。でも、絶望を感じるだけではなく、残された私たちは、諦めず、屈せず、プライドと希望を持ち続けたいと思う。誰もが、自分らしく生きる権利がある。

上別府 圭子/東京大学大学院医学系研究科家族看護学分野・教授
犠牲となられた19名の方に心より哀悼の意を表します。また、けがをされた方、そばにいて怖い体験をされた方、皆様のご家族、あるいは報道を聞いて辛い思いをされている方々に、お見舞い申し上げます。この痛ましい事件が、厳罰化だけに利用されることのないようにしていかなくてはいけないと思います。

松井 正志/(社福)光友会 地域生活支援センター長
私は障害者福祉の仕事に携わって20年ほど経ちます。現在は事業所長をしています。福祉サービスを利用される皆さんとの間には、楽しい思い出もあれば、つらく悲しい経験もしてきました。
この度の事件を耳にした時、あまりの衝撃に言葉を失いました。現場を見てはいませんが、その場にいた職員並びに利用者の皆さんのことを想像する度に、感情が大きく揺れ動きます。未だに気持ちを整理できずにいます。
私たちはこの仕事を選んだ時点で、事件があってもなくても、これからも障害を持たれた皆さんの応援団として、知恵を絞って持てる力を発揮していきたいと思います。
そこには必ず仲間がいることを忘れてはいけません。仲間と一緒に未来へ進んでいきたいと思います。

井出里美
8歳の五女が脳性麻痺で肢体不自由です。会話もできません。時々この子が生きる意味を考えてしまいますが、わたしにとっては宝です。ただ、他の人にとってはどうなのかと悩む日々ではあります。何か感じられればと参加希望します。

鈴木悠平/LITALICO発達ナビ 編集長
今回の事件で犠牲になった19名の方々、不安な思いを抱えながら日常を生きている友人たち、まだ私がお会いしたことがない、この社会にともに生きる皆さまへ。住む場所も、働く場所も、これまでの人生もさまざまで、事件のあと、今この時に感じる重力もさまざまで。この冊子を読んでいるあなたと私は違う人間で、あなたの悲しみやあなたの傷みを、私は知ることができません。だけれども、今同じ時代を生きる人間として、私はあなたと共にあります。共に生きたいと願います。誰もが「ここにいていい」と思える社会をつくるべく、私も遠くから祈りを捧げます。

政本和子/NPOアエソン
すべての人が尊重される社会をつくっていきましょう

勝亦健介/錦糸町就労支援センター
亡くなった方々の冥福をお祈りいたします。

平野
私はダウン症を持つ女の子の母親です。今回の事件では、ただ悲しいだけでした。
犠牲者が名前も公表出来ない事を疑問視せずに受け止める社会。子供が誕生した時に、喜ぶ事が出来なかった自分。
子供が育ってきて、かけがえのない存在になりました。
障害を持つ人を隔離するのではなく、当たり前に社会の仲間として生きている事ができるようになればいいなと、思います。
障害者を排除する社会は、自分がその立場に立った時に、排除されるという事だと思います。
だれでも、長く生きれば、誰かの助けを借りずには生きていけないものです。困った時は、助けてもらえるという事が生きる上で大きな安心感になります。

内海智子(うつみさとこ)/NPO法人 ドリームエナジープロジェクト  代表
ダウン症のある22歳の息子がいます。
息子を育てながら、また多くの知的に障がいのあるお子さんの成長にかかわらせていただきながら、こちらが学ぶこと、励まされることだらけです。

犯人が言った「障がい者はいないほうがいい」ということばを強く否定したいです。
生まれてきた命は、生まれてこれなかった命や、生きたくても生きることができなかった命の分まで精一杯生きる使命をおびているはずです。死んでいい命などない。生きとし生けるもの、その命を精一杯生きて、命をまっとうすること。ともに生きるものは、それを手助けするのが努めなのではないでしょうか。

Solomon/普通
障害を持つ方の中で犯罪をするのは、通うところのない方々なのに真面目な方々が被害に遭われたことをお悔やみ申し上げます

真鍋祐子/東京大学東洋文化研究所・教授
まだ、うまく言葉が見つからずにおります。黙したまま犠牲になられた方々の、生きることへの無念を思います。

愼允翼/東京大学教養学部前期課程文科三類1年
僕は重度の身体障害があります。障害のジャンルは違っても、この事件で犠牲になった方々と同じ「人種」に属する者として、命のみならず名前も顔も奪われた犠牲者の皆さんに心から哀悼の意を捧げるとともに、犯人とそれを生み出した社会のすべてを断罪するまで僕はこの怒りを胸に刻み込むことを誓います。皆さんの犠牲を絶対に忘れないし、むしろ天からこれから始まる本当の「闘い」を見守っていてください。

石原孝二/東京大学・大学院総合文化研究科・准教授
重度の知的障害と自閉症のある息子と共に参加します。何をすれば無くなった方々を追悼することになるのか、どうすれば今回のような事件を防ぐことができるのか、そのことを考えていきたいと思っています。今回の事件では措置入院からの退院後の対応が問題になっていますが、そもそも措置入院という制度が今回のような事件の防止に有効に機能するものなのか、そこから問い直す必要があると考えています。

石井 忍
息子は言葉を持たない障害者です。容疑者が「声を掛けても返答しなかった者から殺していった」と供述したとの報道に戦慄を覚えます。言葉がなくても心があり、身体が動かなくても魂は自由な、一人の人間です。今だから、声を大にして、人間として誰もが大切にされるべき存在だと言いたいです。

米澤 慶一/一般社団法人アビリティ・マネジメント・プログラム(AMP)代表理事
効率性と安全性は、いついかなる時でもトレードオフの関係にあります。
福祉の世界でもそれは例外でなく、障害者施設入居者・利用者の安全を強化しようとするならば、その利便や「一般」「健常」社会とのアクセシビリティにある程度の制限が設けられることは避けられません。
重要なのはその「制限」が、施設入居者・利用者の人権を抑圧するものであってはならない。言い換えれば障害者の安全向上が、たとえ部分的でも彼らの人権と引き換えであってはならないという事であり、我々は日本社会の今後の推移を、この視点に立って厳しく見守ることが求められています。この事こそが、今回の事件の犠牲者の無念に報い、加害者の余りにも稚拙で卑しい望みを打ち砕く唯一つの途なのだと思います。

児玉 一義
今回の事件が、「精神病者」や「知的障碍者」に対する、偏見・差別に繋がる
ことが心配です。

SOSHIREN女(わたし)のからだから
被害にあわれたみなさんに、心からお悔みとお見舞いを申し上げます。
この国には、戦後の1948年に「不良な子孫の出生を防止する」ことを目的とした優生保護法ができ、1996年まで存在していました。ナチスドイツのような障害者の計画的な虐殺は日本にはなかったとしても、法律が“生まれるべきではない存在”として障害者、精神病者、ハンセン病患者を規定していたのです。しかも、戦後の民主主義と言われる時代に。
優生保護法によって強制的な不妊手術が約16500人になされていました。ところが、96年の法律改定にあたって優生保護法の何が差別で問題だったのか、「不良な子孫」と人間にレッテルを貼ってきた行政、医療はじめ国民の意識をいかに変えるか、過去の検証や被害者への謝罪や補償に、国は取り組んできませんでした。
今回の事件の背景にはさまざまなものがありますが、優生保護法が50年以上にわたり、人々に“障害者は生まれてはいけない、産んではいけない”と言い続けた影響もあるのではないでしょうか。
優生保護法は一方で、堕胎罪が禁じ犯罪としている人工妊娠中絶を、条件付きで許す法律でもありました。国は女性の生殖を支配し、障害者を排除する道具と位置づけたのです。日本の女性は、この差別的な優生保護法によって中絶が辛うじて許可されているという、微妙で悔やしい状況にありました。ですから、女性の運動も優生保護法を無くしたいという強い思いをもって、障害者解放運動と真剣な議論をし、女性と障害者が、両方の人権をまもり、互いを殺さない、生かす関係を探ってきました。
今回の事件で、優生保護法が残した障害者排除の思想が現実の形になってしまったことに、怖れと無念を感じています。この国に暮らす全ての人が、優生保護法を検証し、互いを生かしあう関係を築きたいと、切に願っています。

エハラ ケン/横浜市役所障害福祉部
被害に遭われた方々のことを思うと、悲しみで胸が張り裂けそうです。でも障害に関わる者として、差別のない社会に向けて、歩んで行きます。どうか安らかにお眠りください。

塙真智子/会社員
誰もが日々頑張って生きている、生活している。それぞれの命の価値は誰かに決められるものではない。

藤崎みほ/障害をもつ幼い子供の母、会社員
事件のことを考えると涙が止まらなくなります。小さなことでも自分にできることをしていかないといけない、そう思い、追悼集会に参加します。

朝霧裕/シンガーソングライター、作家
介助や医療を必要とするわたしたちが生きることによって、介護や医療、人権に関する多くの制度が拓かれ、全国に249万人の介護・福祉の現場で働く人たちの雇用を生み、障害のある人も、ない人も、誰もが、ともに生きる社会づくりの道が作られてきました。障害をもつわたしたちのそばには、生きるひと日を支えてくれる多くの他者がいつだってそばにいてくれました。それがどれだけ、人生の底力になってきたか、何度でも、思い出してみてください。今ここで、だれの命も尊びあえる社会づくりを、あきらめないこと。退歩しないこと。それがきっと、亡くなった方々の命をつないでゆくことです。
津久井やまゆり園で犠牲になった19名の方々へ心からお悔やみを申し上げますとともに、障害の有無、種別を越えて、人と人として手をつなぐ。
そのつなぐ手のひとつであることを、わたしはあきらめません。”

信田さよ子/原宿カウンセリングセンター所長
追悼集会の主旨に深く賛同いたします。この事件は報道に際しても、被害者の実名非公開や容疑者による衆院議長宛て手紙にあった首相名が報道されなかったことなど、数々の問題をはらんでいます。何より最終的に精神科医療の問題に矮小化することで幕引きを図ろうとする捜査意図および報道姿勢に関して、憂慮いたします。障害を障がいなどと言い換えることで免責をはかるだけではなく、多くの援助専門職に携わるひとたち(もちろん私もその一員です)が本事件を自らの専門性と照らし合わせてとらえる必要があると思います。また重複障害者を狙い撃ちにするという容疑者の行為に見られる、障害とひとくくりにされる存在における階層性も問題にされる必要があるでしょう。
参加はかないませんが、どうかこの集会を機にいつの間にか風化し不可視になりつつある差別、およびグローバルという言葉によって当たり前になりつつある効率・能力による人間の価値づけについても継続的に考えられるつながり・チーム・グループが生まれることを願っています。その一員として私も参加したいと思っています。ご盛会を祈ります。”

高橋和子/大阪電気通信大学
この世に生命力をもって生まれた人の命を奪うことは、何人であっても許されない !

竹内三枝/社会福祉士
この事件は単発で特異なものではないと思っています。日本や世界中に、押しや寄せている闇夜の気配が容疑者を突き動かしていると感じています。だからこそ、一人の力ではなく、流れを止めたいと願う人々の意思確認と祈りの場が必要なのです。

かりこみ/DO-IT Japan
犠牲となった19名の方々に心より哀悼の意を表するとともに、被害にあわれた方々の順調な回復をお祈り申し上げます。
事件以降、障害者への偏見は強くなっています。社会は、受け入れる障害と拒絶する障害に別けようとしていると感じ怖いです。
障害者への理解と共生のために声に出して、前進したいと思います。

袴田信吾/相談支援専門員
犠牲になられた皆さまに、謹んで哀悼の意を表します。

私としてはこれからも、障がいを持たれる方の『幸せ』を支援して行く事に全力を尽くして行きます。
それが私自身の『幸せ』でもありますし、全国の支援者の思いである事を共有させて頂きたいです。

19名の方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

吉野裕子/NPO法人町田ヒューマンネットワーク
亡くなった方々の魂の平安をお祈りするとともに、今なお大きな傷を戦っている方々の1日も早い回復をお祈りするとともに、この事件が「特殊なコト」としてでなく、精神疾患者が起こした事件としてでなく、人々の中にある優生思想の表れだと社会が自覚し、本当の命の尊厳を、キチンと社会全体が認識し、意識し、向き合って行くようになって行くようにと切に願っております

黒岩秩子/社会福祉法人理事長
どんなに怖かったでしょう。どんなに無念だったでしょう!
私のところで運営しているグループホームでは、職員、入居者ともに涙ながらにテレビを見ていました。今、その職員が、入居者の皆さんの想いを言葉にしてもらっているところです。
世の中の多くの人たちが、日ごろ感じている「差別意識」が、このような形で表現されてしまったと思えてならず、とてもとても根深い危機感を感じています。

長谷川祐子/スーパー
亡くなられた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。このような悲しい事件がもう起きないような社会づくりをするために、自分ができることは何か、考えてゆきたいと思います。

水川雅子/製薬会社勤務、フリーランスライター
私自身、重度知的障害のある息子を持つ母親です。事件は限りなく重く心にのしかかっています。重度の障害者は生きている資格が無いという容疑者の言葉…またそれをサポートしてしまう一部の人々の存在に震撼します。お亡くなりになった方々の無念を晴らすために、これからどう生きて行ったら良いか考えてしまいます。

上野 勝/なし
毎朝、近くの宗泉寺で、犠牲者の方のご冥福と重軽傷者の回復を心からお祈りしています。

熊谷恵美/NPO法人パルレ 臨床心理士
あまりに酷いことで言葉もみつかりません。お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りします。残された私たちは、差別と偏見のない社会を作っていく責任があると感じています。追悼集会当日は、どうしても行くことかないませんが、会場のみなさんと心をともにしたいと思います。

酒井 正昭/心理カウンセラー
この事件が支援する側の人から起こされたことに言葉がありません。障害者が障害者を襲ったと矮小化して片付けられないように。広く深い角度から考えたい

尾藤陽子
かつての私は「できる」ということに意味を感じていました。
しかし心身の健康を害し、何もできなくなった時に
それまでの自分の価値観が自分に矢を向けました。

私がいまこうして生きているのは、たとえ何もできなくても生きていてほしいと願う人達がいたからです。

かつての私は無知ゆえに、言葉による意思疎通が出来ない人達の心のありようを理解することができませんでした。

いま私の周りには、重度の障害を持ち言葉がない人や要介護の状態が進み寝たきりになっている人達もいます。

今は、私はそのひとり一人と心が通う瞬間があることを知っています。

健康を失ったからこそ、
何もできなくてもただ生きているだけで価値があるということを、この人生で知ることができました。

いまは心身の健康を取り戻し、
年齢による衰えがあってかつての自分に及ばない部分もありますが、
総合力で過去の自分を超えて行ける可能性があることを信じています。

ここから先に更なる回復があるならば
より大きな志で
大空に
虹の橋を架けて生きていきたい。

すべての人が人を愛し人から愛され、このかけがえのない人生を豊かに生きて欲しいと願っています。
すべての人に安心・安全なこころとからだの居場所があるよう願っています。
私自身もそうでありたい。

上野 秀樹/千葉大学・精神科医師
今回の事件自体もおそろしいものでしたが、その後の社会の動きにさらに大きな衝撃を受けています。人々の間の違いを大切にし、多様性を尊重する真の共生社会の実現を心から祈っています。

里見英則/学習会サロン
このように、声なき声を出して行くことが大切なことと感じていました
僕のように重度の障害があり、声を出して返事をすることができない障害者から抹消
しようとした容疑者の声明を聞き、僕がそこにいたら確実に消されていたかと思うと、
情けなくて、何もできない自分に泣けてきます。逃げることも防ぐことも仲間を助ける
こともできない自分を想像すると、泣けてきます。怖くてどうしようもない不安が襲い
かかってきます。仲間の命を思うと、僕が今生きていていいのかと思うことさえありま
す。僕たちのことを大切に思って接してくれている周りの人が守ってくれるから僕の命
は守られていますが、世の中には僕のような命を必要ないと思ってみている人がいると
思うと外に出るのも怖くなります。
怖い、不安、憤り、悔しい、そんな思いがぐるぐる回って、何をどう考えればいいのか
落ち着きません。
命の重さはみんな同じ。だから、その命を軽んじることがあってはならないという理想
と、現実のギャップに押しつぶされそうです。
容疑者の命だって重たいはず、それなのに、僕は容疑者がゆるせない。命の重さが等し
いと理解しようとしても、容疑者を許すことができそうにありません。
僕の命を大切に思ってくれている支援者や家族のおかげで僕の命は守れれていますが、
その支援者がいなければ、到底僕は一人では生きて行くことができません。息をするこ
とはかろうじてできていますが、その他は人に頼る生き方をしています。自分の生きる
価値を見つけられないまま抹消されてしまうかもしれないという思いがよぎることがと
てつもなく恐ろしく、微塵にも生きる価値があるのだろうかと考えてしまいます
信じられないほどの恐怖が襲いかかります。
今こうして気持ちを言葉にすることが許されて、心の声を通訳を通して聞くことで、僕の生きる価値を見出すことができるように思います。どんな命もそこにあることに意味があります。今回の事件で被害に遭われた方とともに、亡くなられた方のご冥福を祈り、僕たちの生きる権利を主張し、容疑者とその考えを支援する一部の世の中の方に僕たちの価値を認められるようにするにはどうしたら良いのかを考えて広めて行きたいと思います。

介助付きコミュニケーションの指談にて 2016.8.6 里見英則

城 蓉子/医療関係
私の家族にも知的障がいのある家族がいます。心の痛みを関係者だけでなく日本全体で共有でき、制度や体制に活かされる社会になれるよう願っています。

肥後正一/製薬会社勤務
これは精神疾患として片付けてはいけない。その本質は差別意識です。支えあう、新しい日本の社会を創り上げる為に、差別意識はなくしていかなくてはいけません。

秋山奈巳/川崎市立聾学校
障害をもつことの意味と憲法の定める人権について、学び直しの必要性に迫られていると感じます。合掌。

有我譲慶/看護師・認定NPO大阪精神医療人権センター
犠牲となった方々に心よりお悔やみを申し上げます。被害を受けた方々が受けた傷が心身ともに回復されることを願ってやみません。一人一人のかけがえのない命と人生に思いを寄せたいと思います。犠牲となった方々が、名前もなく記号化されてしまっていることに、強い違和感を感じています。この事件を憎み、連帯の意を送ります。

障害者の命と存在、尊厳を否定するようなこの事件を許すことはできません。この事件の背景には様々な問題があると思います。優生思想、その背景にある現在の障害者政策、生産性が低い者や社会保障を受けるものを切り捨てる社会的風潮、価値観、こうしたものと向かい合わないといけないと意を新たにいたしました。
また、精神障害に対する偏見を拡大するような報道のありかた、精神医療を治安強化に利用する措置入院の見直しの動向にも反対です。
本日は追悼集会に参加できないのですが、私も心を寄せる皆さまと共にありたいと願っています。

春日井 治
障害者の介護はたいへんだろうなあと思っています。このような事件が起きると、いろいろな意見(偏見)もでてくるので、関心をもつようにしています。

鈴木陽子/介護者
障がいだけでなく、様々な差別によって今の世の中区分けされてきていることに危機感を感じます。マスコミの報道の仕方にも問題があったと感じます。風化させないで、今、向き合う必要性があると思います。

森田展彰/筑波大学 精神科医
あまりにもためらいなく障碍者の存在を否定する言葉と行為に、強い恐怖と戸惑いと怒りを感じ、どのように折り合いをつけていいのかわからないというのがまずあります。一方でヘイトスピーチやテロや戦争法案などある意味で類似した一方的な力で相手を破壊してしまう力の行使を正当化する考えに基づく行為の応酬が日々のニュースで伝えらえれ、それに飲み込まれかけているところでの事件であったので、ここまで一線を越えてくるということの恐怖やこれがどんどんと広がったらということで、防衛的な意識とそうした防衛が孤立と排除につながり、さらに猜疑心をたかめ、暴力を暴力で対応する考えに拍車がかかるということを多くの人が心配していると思います。恐怖や猜疑をのりこえるつながり、一緒につらい気持ちを正直に話せる関係をそこここで小さい単位の集団でいいので話せていくことで「心の毒」を解毒できると思いますし、今回のこの集まりやサイトでの意見交換がそのような意味で運用されるといいなと思います。
この事件に関してまったく別の視点として、犯罪精神医学的な視点やその是非ももんだいになっていると思います。自分は精神鑑定にかかわっていた時期があり、今回のような突発的な加害的考えの事件もいくつか見てきましたが、もともとの障碍者に対してサポートする気持ちがあった時期から急激に変化していること、思いついた考えを前もってあちこちにいってまわっていること、行為自体にまったくためらいがないことなどは、やはり何らかの脳の中で何かおきていて発病ないし急性の増悪という可能性はやはり一度は疑ってみることになると思います。特に精神病発病時期の行動化は、症状なのか信念なのかよくわからないあえていえば「優格観念」(おもいついたある考えが疑う余地のない果たすべきものとしてしまう。強迫観念にも近い)で非常に短絡的な行動化する場合があります。この場合後で犯行時の心理について、問診していても深みがないというか論理自体が理解できないということがあります。昔にあった殺人事件で特に葛藤も何もなかった仕事場の同僚を急に刺し殺してしまった事件がありましたがこの人は「相対性理論に基づいて殺した」の一点張りでした。今回の件をこうした精神障害的な視点でみることは、精神障害への偏見につながってはいけないのはもちろんで、このような書き込みがお叱りをうけるかもしれません。でも実際に早めに疾病が見つかり治療によって行動化を防げたという事例もしばしば経験しますので、バランスのいい議論をお願いしたいと感じています。以前麻原彰晃が法廷で緘黙になってしまったことについて「治療してから裁判を受けさせた方がいい」という意見を書いた先生が、ものすごいバッシングをうけ、またその意見は処遇に反映されなかったことを思い出します。この場合朝原を精神障害があるから許すという意味での判断ではなく、あくまで裁判でちゃんとした話し合いになる状況(処罰が処罰として本人に届く)状況を作るほうがいいという意見でしたが、封殺された形になりました。精神障害としての診断や対応の可能性を全否定するのも、ある意味で逆の差別になると思います。もちろんもともと精神医療の側のもつパワーの乱用の問題(長期の入院や処方薬など含め)があったし、今もあるわけで、そうしたことへの警戒心はよくわかりますし、逸脱行動をすべて精神医学的な診断につなげて考えるのはまちがっていると思います。しかし、両面から考えていくことは必要であると思います。措置入院という方法の有効性や無効性の議論もこの際十分行われるべきと思います。加害行為をする可能性があるという訴えをしてきた場合に、援助者がどうすればいいかという本当に具体的なレベルで難しい問題ですので、べき論ばかりでなく、どうすればいいかのコンセンサスが少しでもみつかってほしいです。タラソフ事件のように、守秘義務を超えて、なんらかの事件を防ぐ対応をすることも援助者の責務と考えるのか、もしそうだとすれば警察などに「病気とはいえないけれど、加害的な考えを持っている可能性がありますので警戒してください」というようなことをお願いしていいのか、それだができるのか、人権侵害にならないのかなど相当難しいです。1人で決めるのは荷が重いので、何らかの話し合いの場が必要には思います。
以上、いろいろ矛盾する考えで、頭がまとまりませんが、複眼的な(ポリフォニックな)議論を進めていくことが大事だと思います。長くなりすみません。

高居和美/滋賀県立大学
被害に遭われた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。私は、約19年、入所施設で看護師として働いてきました。利用者の健康と命を守るために、福祉の現場で働く若い職員の人たちに命がどれほど重いものか、身をもって呈してきたつもりです。医師もおらず、医療の後ろだても脆弱で、しかも定員50人にたった一人です。しかし、さまざまな所と連携しながら最後の看取りもしてきました。看護の世界でも、知的障害者施設で働く看護師は、あまり知られておらず、評価もされません。何の肩書きも持たず、今は、パートで、大学の保健室で働いていますが、今回の事件で、ただただ、命の重さを職員間で共有することの大切さを思いました。

なかじま
私一人は非力ですが、人を思って知ろうとし尊重する小さな心は、人を知れず怖れて否定する何気ない心より、もっとどっしりと重く広く深く気まぐれで柔らかく、越える壁があるとしても驚きと未知の可能性を秘めていると信じます

入江 杏/ミシュカの森 主宰
私も犯罪被害者遺族ですが、亡くなられた方、ご遺族、関係者の皆様の苦しみ、悲しみに想いを馳せ、心よりの哀悼を…….

高橋幸子/國學院大學人間開発学部・教員
長い間、知的障害教育の現場におりました。被害にあわれた皆さんのことが卒業生のみなさんの姿と重なり悲痛な思いをしております。私は障害のある皆さんとともに当たり前に生きてきたので、彼らの存在を否定することは私の存在が否定されることと同じです。この機に「いのちに優劣はない」という揺るがない思想を確固たるものにしなければならないと思います。

金井 聡/ソーシャルワーカー
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご遺族、施設関係者の方々が癒され、一日も早く穏やかに過ごせることができるよう願っております。

あすな
この事件で、障害の診断、手帳取得から逃げる方が多くなりませんように。
未診断かつ手帳取得から逃げている人々、それらを肯定する人々による、きちんと診断を受けて手帳を取得し就労や就活などしている人々への迫害がなくなりますように。

六車由実/デイサービスすまいるほーむ・管理者(社会福祉士・介護福祉士)
「津久井やまゆり園」で亡くなられた方々に、心から哀悼の意を表します。
亡くなられた方や被害にあわれた方が味合われたとてつもない恐怖を想像するだけで、本当に心が苦しくなり、怒りと涙がこみ上げてきます。
このたびの追悼集会には諸事情によりどうしても参加できないため、せめてメッセージをとずっと考えていましたが、いまだに私の中では今回の事件についての整理がつかず、胸のあたりに引っかかったままの重い何かを言葉にすることができません。
ただ、私は、障害者と高齢者の違いはあれ、容疑者と同じ介護職にあります。その立場から思うことだけでも、拙い言葉ながら少しだけお伝えしなければならない、という衝動にもかられます。
私は、誰もが生きる権利を持っている、と思っています。また、多様性こそが社会の豊かさだと思っています。そして、ますます生産効率ばかりが重視される今の社会の風潮が、容疑者が起こした行動に少なからず影響している、とも思っています。
でも、何よりも介護職の立場から思うのは、介護の仕事によって障害のある方たちに日々向き合いながら、なぜ容疑者は自分の「弱さ」に向き合えなかったのだろう、という疑問であり、そこにこそ彼にとっての最大の「不幸」があったのではないかということです。
確かに介護の仕事は重労働ですし、過酷なものがあります。虚しさや苛立ちを感じる事もあります。それでも、私がこの仕事をし続けているのは、私自身がそこに生きやすさと、生きててもいいんだという希望を感じられる居場所をやっと見つけられたからです。
なぜそう思えたか、というと、要介護のお年寄りたちが、様々な生活の困難を抱え、絶望を味わいながらも、それでも彼らの体に流れる効率性とは正反対のゆっくりとした時間の中で、豊かな工夫と知恵をもって、そして自分自身の生きてきた歴史を背負って生き抜いている姿に出会えるからです。その姿の力強さに圧倒されるとともに、それまで克服しようと苦しみもがいてきた自分自身の「弱さ」に向き合い、「弱さ」を弱さのまま引き受けていく寛容さを自分自身に向けられるからです。障害をもつ人たちへの介護の現場であっても、同じことが言えるのではないでしょうか。
どんな立場の人でも、どんな生き方をしてきた人でも、人は何かしらの「弱さ」を抱えて生きているはずです。でも、学校生活でも、社会生活でも、その「弱さ」は克服すべきだとされ、自分にはあたかも「弱さ」などない、と思い込もうとしたり、克服できないことで追い詰められたりしてしまいます。
私自身は、物心ついてからずっと「弱さ」を克服できず、かといって受け入れられず、苦しんできました。でも、要介護のお年寄りたちと共に生きることで、「弱さ」を受け入れられて、やっと楽になりました。それは、私にとって、「生きる希望」を初めて得られた瞬間でした。
これは、私だけの経験でしょうか。いえ、きっと介護の仕事をし続けている人の多くが、言葉にはせずともどこかで経験していることなのではないか、と思います。
こんなことを言えば介護をする側からの勝手な言い分と批判されるかもしれません。でも、障害のある方や要介護のお年寄りたちと寄り添う、ということは、一方的なものではなく、互いの「弱さ」をさらけ出し、認め合う、ということなのではないか、と私は思っているのです。介護の世界とは、自分の「弱さ」も相手の「弱さ」も認め合って共に生きていける場所、この殺伐とした社会において、本当に宝のような場所なんだと、私は声を大にして言いたい。
今の私には、これが精一杯です。
改めて、亡くなられた方のご冥福を心からお祈りいたします。

かなやふみひで/障がい者施設生活支援員
Je suis Yamayuri.

多田 由里子
私の息子は重度障害児で、車いす。
お亡くなりになられた皆様へ、心から追悼いたします。
今回の痛ましい事件が何故起きてしまったのかを、冷静に分析する必要があります。今後、この様な思想が社会に広まらない為にも、当事者、家族が一丸となって、この事件に向き合い、障害者も社会の一員として大切である事を訴えていかなくてはまりません。
本日は参加できませんが、またこの様な追悼集会の企画をお願い致します。

長井基樹/福祉職
福祉の仕事をしているのでとても悔しい気持ちです。

猪瀨 良一/見沼田んぼ福祉農園
哀惜の気持ちに耐えません。

板橋徹夫/先天性四肢障害児父母の会会員
障害児に教えられました。すべてのいのちは大切です。

八島慎治
殺されたのは私たち社会全体である。ヘイトクライム根絶に向けて今できることから始めたい。

福岡 由夏/東京大学情報学環教育部
今後の日本社会に対して非常に示唆深い事件だったように感じます。このような事件に至った経緯、環境、全てが悲しく非常に残念と共に、自分なりに起こってしまった原因、理由を納得するまで調べて心に落とし込みたいと強く思いました。事件で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

新井陽子/被害者支援都民センター
お亡くなりになられた全ての方々、そしてご遺族の皆様に哀悼の意を表します。このような悪意に満ちた犯罪によって、罪のない方々が命を落とさねばならなかった現実に胸が詰まります。亡くなった方はどんなことをしても生き返らない。その現実が苦しく辛く息が詰まりそうになります。ご遺族の方々の怒り悲しみ悔しさ、そして全てのお気持ちを想うと言葉になりません。
安らかなご冥福をこころよりお祈り申し上げます。

まこ/派遣
障害を持つ者として、今回の悲劇の犠牲になった方々のご冥福を祈ります。

ティクレ
私達は、すべて同じ
命尽きるまで、生きる
どんなことがあっても
死ぬまで 生きる
ひとりとして同じ人がいない奇跡
生まれてきた 奇跡
今まで生きていることも
出来ることなら少しだけ楽しく
ただ 生きる
それが 使命

桜井敦子/セラピスト
しばらく悲しみに心が凍り整理がつかなくなりましたが、祈りが出来ることをようやく思い出していました。その折の、熊谷先生の言葉、お知らせを知りました。犯人の抱いた思想的なものや事情、介護の現場、障害者の置かれた現実…そしてそれぞれの立場の人がそれぞれに投影している思いなど、色々なものが混在して論じられているように思い、わたしには一つ一つ整理する時間が必要だと感じています。障害者の立場としてまた介護者の立場として、その両方で多く思うことも、抑圧していることが日々多いからです…。その中で、どうしても心が凍りつく時、祈りに救われています。なによりもまずは、犠牲者の方々へ心より御冥福をお祈りいたします。

齋藤良枝
重度脳障害の12歳の末息子を五歳の頃から医療型の施設に預けています。
それまでは入院生活を送り、在宅療育は経験していません。
他人事に思えない恐怖を感じ、親御さん方の複雑な気持ちを想像しています。
近年の在宅療育が美化された報道に疑問と憤りを感じていた矢先の事件に、本当に苦しい想いです。

施設でも、そこで暮らす方々の喜びや楽しみもあったはずです。

障害が重い分、周囲の空気や想いを感じ取り、糧として暮らしていた方々の未来を、なぜたった一人の偏見で断ち切られなければならなかったのか。

家族と離れていても、家族を想い、複雑であっても、そこに存在していた家族の繋がりを、なぜ一人の身勝手な思い込みで、突然断ち切られなければならなかったのか。

障害が重さは時間の重さでもあるはずです。
命の重さでもあるはずです。

誰の命も、軽はずみな想いで、操られてはならないはずです。

熊倉恵美子/介護福祉士
驚くばかりか亡くなられたかたかわいそうでありません。障害もだれもが生きる権利もっています。どうか幸せになりもっとゆたかな国になり、二度と起こらないようにしてください。

腰 英隆/福祉職員(臨床心理士)
まず、今回の事件で被害に遭われた方々、亡くなられた方々に対して何か申し上げなければいけないのですが、上手くまとまりません。単なる哀悼の意で済む話ではなく、言葉にならない思いでいっぱいです。

というのは、今回の事件に関しては、現在の福祉業界の在り方が影響していると考えないわけにはいかないからです。

私は今回の事件がおきたような施設とほとんど似たような成人の知的・発達障害者支援施設で勤務しています。

私の勤務する施設だけでなく、成人の知的・発達障害者支援の現場では、専門家などによる専門的な支援や職員の研修の機会はほとんどありません。

(SSTを取り入れようとすれば「成人に訓練や教育をするのはおかしいし訓練や教育を支援者が行なうと上下関係が出来てしまう」という理由で反対され、応用行動分析などは「利用者の環境を支配して飴と鞭で調教するもの」と主にベテラン層から評される事すらありました。オンブズマンですら理解を示しません)

その結果、利用者さんは専門的なケアを受けることが出来ず、出来ることが出来なくなったり不適切な行動を学習したりします。そして職員の手に負えなくなり、適切なケアをしていれば本来不要だったような向精神薬が増えていきます。
そしてどんどん状態が崩れていく利用者をただ指をくわえて見ている職員の無力感や絶望感は想像を絶します。

「問題ばかり起こす障害者は必要ない。」

そう思ってしまう職員も少なくはありません。というより、そのように思わせてしまう魔力が福祉業界にはあります。

もっとSSTや応用行動分析を用いて適切な行動を身につけ不適切な行動を減らす支援が出来ていれば、職員もやりがいや達成感を感じて、もっとこの人達のために頑張ろうと思うはずです。

それだけではありません。障害者福祉の現在だけを切り取れば「何故、何も生み出さない障害者を税金で生かすのか」と思ってしまう人はいるでしょう。

しかし、そのような引き算ではなく、人が集まってよりリスクや損失を減らそうと足し算をした結果が現在の障害者福祉と言いますか、社会保障なのです。100から引き算して60なのではなく、0から足し算して80くらいの認識の方が適切です。

ただ、これは教えてもらわないと分かりません。おそらくそういった人材育成を怠っていたのでしょう。福祉業界に5年以上いますが、そのような研修も教育の機会もありませんでした。

ニュースの情報から察するに犯人はかなり重篤な部類の精神疾患に罹患しており、さらに大麻の影響もあったようです。
大麻単体で、もしくは精神疾患単体であのような事件を起こす事はまずないと言えるでしょう。しかし、この環境要因も加わったらどうでしょう。

そもそも、人間の発達は「遺伝と環境」で環境の影響を排除して何かを語ること自体がおかしいのです。

極論すれば犯人が飲食業をやっていたら同じ場所で事件を起こしていたでしょうか。

今回の件は福祉業界の怠慢もかなりの割合で影響していたでしょう。しっかり予算を割き、キチンとした支援を行いキチンと人材育成を行っていれば防げたかもしれません。

環境自体が支援者に無力感や絶望感を与える属性があるのです。
それに加えて人権や社会保障についての(恐らく)未教育、そして精神疾患や薬物の影響が上乗せされれば、今回の事件を起こすほどに現実の認識が著しく歪む事も不思議ではありません。

現にインターネット上やTVのニュースでは今回の事件に全く理解を示せない人が多くいる印象がありますが、犯人の考えに一定の理解を示す人はむしろ福祉職員に多くいます。

だからこそ、私はこのメッセージを伝えなければいけません。

福祉職員かつ臨床心理士の私からすると、今回の事件は「防ぐことができた」事件だったと思います。
余談ですが、事件が起きた日から今までで2回の夜勤をやりましたが、防犯カメラも夜勤職員の増員も防犯用品の購入もありませんでした。
現在の福祉業界が抜本的に変わらない限りは、似たような事件が規模の差はあれ起こるのではないかと思っています。

最後に、あまりにもありきたりな表現しか思いつかずに非常に恥ずかしいのですが、今回、被害に遭われた方々にご冥福と安らかな日々が来ることをお祈りします。

川崎春香/新潟市手をつなぐ育成会員
ご冥福をお祈りします。今回の事件で障害者なんていなくなればいいと言う言葉にしょくです

福井由理子/東京女子医科大学医学部嘱託・非常勤講師
福井由理子と申します。6日の追悼集会に参加させていただきました。
3月に東京女子医科大学を定年退職し、現在はそこの嘱託また他の医療系大学の非常勤講師をしています。専門は、生物学、生物学史、医学教育です。
まとまらないままに思うこといろいろはあるのですが、追悼集会で、もしマイクが回ってきたらお話ししようと思っていたことを書いておきます。

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医学生を相手にいろいろな講義をしてきましたが、私がいちばん学生たちに忘れずにいて欲しいと思うことは、人は誰もが10個か20個の遺伝性障害(常染色体劣性)の遺伝子を持っているということです。集団遺伝学の講義で、発症頻度から、遺伝子頻度、そして保因者頻度を算出すると、ごく稀な遺伝性障害でもこの教室内にその保因者が1名いてもおかしくないということになります。
「親戚中見渡しても、系図を何代も遡っても、遺伝性の障害のある人は一人もいませんという人がほとんどでしょう。でも、今の結果からすると誰もが、代謝障害か、形態形成異常か、行動の異常かわからないけれど、あなたも私も、幾つもの原因遺伝子を親から受け継いでいます。将来、みんなはこういう問題に直面することがあるかもしれませんが、これは事実なのですから、これを必ず念頭に置いた上で対処して欲しいと思っています。」
何人くらいが忘れずにいてくれているのか全くわかりませんが、20数年言い続けてきました。

事件の起きた前日(7月25日)、送られてきた医療介護関係のメールマガジンの中に次のものがありました。

「日本病院団体協議会(日病協)は22日に代表者会議を開き、将来はかかりつけ医も患者の緊急性や重症度に応じて治療の優先順位を決めるトリアージができるようになるべきとの意見で一致した。また、同会議では、高齢者にかかる医療費について、改めて検証すべきとの意見も出た。」

災害や大事故に際してのトリアージが認められているのは、非日常的な緊急事態のためぎりぎり止むをえないからでしょう。それでも、「命の選別」には他ならず、注意や検証を怠ってはならないと思っていました。それが、日常診療の中で、しかもかかりつけ医がやるべしという意見が出たとは、しかも一致した、とあるので、これは危ないと思いました。滑りやすい坂道はいたるところにあります。どこへ滑っていくのか、今何かを言わなければならないと感じました。

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