上田 要/ケアズ世田谷理事・モトム工房主宰
7月26日に起こった相模原市津久井の事件について、私なりに考察を書いてみました。
重度の脳性麻痺者としてこの世に生まれ、早67年生きながらえてきました。生きていくこと全てに介助を受けながらここまで人生を歩めたことは決して無駄な人生だったとは言いません。
25歳のとき中国地方で初めての大規模収容施設であるTという療護施設ができ、役所の誘いもあり入所しました。施設生活の劣悪さは、今さら私がこと細かく説明することでもなく、いわゆる非人間的なとても住まいといえる場所ではありませんでした。
あまりにも施設体制の厳しさに耐え切れず、7ヶ月ほどで退所しました。
縁あってこの東京の世田谷に移り住んで障害者仲間の生活を見よう見まねで「24時間介助体制」を始めて今年で30年になります。
しかし、今の生活をここまで支えてきた原動力は、やはりたった7ヶ月しかいなかった施設生活で感じとった社会の中でいかに障害者という存在が無視されてきたかという実感でした。
そしてとうとうこのような出来事が起きてしまいました。
40年前に嫌というほど味わった、「障害者の人権」は今も無視され続けていることが如実に現れました。
しかしこのままこの実態を受け入れてしまっては、僕の人生そのものを否定されてしまいます。
この悔しさをバネに、むしろより良い方向に社会が変わっていくきっかけとして提案させていただくことにします。
そもそもこういう大規模収容施設が作られたのは、太平洋戦争で傷痍軍人になった人たちの保障を要求する運動が巻き起こり、いくつかの保障制度が作られていった経過を踏まえ、障害者の親達が自分達の子供達の生存保障を政府に要求していった結果、田中内閣当時この親達の声を受け止め取りあえず管理しやすいという発想を元に考えられたものであったのが、約半世紀経ってもその思想が未だに続いた結果、まさに極論としてのこのような忌まわしい事件が起こってしまいました。
ここに入れておけば命だけは全うできると信じて来た親達の思いはまさに崩れ去りました。
今社会はインクルーシブという言葉が盛んに叫ばれて、我が国の法律も遅まきながら「障害者権利条約」を批准し、「障害者差別解消法」を今年から施行させた。それにも関わらず当たり前のように相変わらず収容施設は存在しているのです。この後このような悲惨な事件がなければいいのですが、優生思想を唱えている方たちは数多いと見受けられます。
このような、あってはならない事件をただの悲しさに留めず、このことをきっかけに改めて「誰もが住みたい場所に共に暮らしていく地域社会」を作っていくことを目指していきませんか。
そういう動きをしていけば、亡くなった方たちも浮かばれるのではないでしょうか?
「高齢者も子供達も障害者も共に助け合っていける社会を」ぜひ力強く!
尾上 浩二/ DPI日本会議
この事件が報じられた時、身もだえするような恐怖を感じた。私は生まれた時から脳性まひの障害があり、子どもの時に入所施設にいた。就寝時も身体機能の訓練の一環として、ベッドに体を固定された状態で寝かされていて、全く身動きできなかった。そんな時に犯人が侵入し、突然刃物で切り付けられたら…。被害に遭われた人の恐怖、理不尽さは人ごとではないと思ったのだ。
警察に対し、容疑者は「障害者なんていなくなればいい」と語ったという。2月には衆院議長宛てに「私は障害者を抹殺することができる」との文章で始まる手紙を書いていたと報道された。
なぜそんな考えを持ち、犯行にまで至ったのかは現段階では分からない。ただ、障害者に対する露骨な差別意識が背景にあることは間違いない。
手紙は引用するのもちゅうちょする内容だが、「私の目標は重複障害者の方が安楽死できる世界です」と書かれている。
さらに「戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」とあり、障害の有る無しで生命を選別し、障害者は殺されて当然とする考えに立っていることが分かる。
こうした考えを優生思想という。ナチス政権下、ドイツでは「T4作戦」などにより、20万人にも及ぶ障害者らが虐殺された。今回の事件からは、それに通ずるものを感じざるを得ない。
日本では「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的に掲げた優生保護法が1996年まで続いた。障害者や関係者の粘り強い運動でようやく廃止されたが、優生保護法下で行われた不妊手術などの被害者に対する謝罪や補償は、いまだになされていない。この問題を私たちの社会は総括せず、けじめをつけないまま現在に至っている。
加えて最近の閉塞(へいそく)感の中、マイノリティーに対する憎悪に基づく「ヘイトスピーチ」や「ヘイトクライム」が平然と行われるような社会状況がある。社会的に困難な状況にある人たちへの暴言をたしなめるどころか、「よく言った」ともてはやす風潮も見られる。こうした中で、この事件が起きた重さを考える必要があるのではないか。
今年4月、障害者差別解消法が施行された。差別解消を進め、障害の有無によって分け隔てられることのない共生社会=インクルーシブな社会を実現しようとする法律だが、それが施行された年に優生思想に基づく虐殺事件が起きたわけだ。
私たちの社会は、インクルーシブな社会に向かえるのか、それとも障害者を排除する社会に向かってしまうのか。無関心が一番の問題だ。今回の事件を、決して猟奇的なものと片づけることなく、私たちの社会が進むべき方向が問われていると捉えたい。
福島 智/ 東京大学
「障害者いらない(という)言葉、私、心壊れます」。横浜市に住む38歳の知的障害者、奈良崎真弓さんから届いたメールの一節だ。相模原殺傷事件の容疑者の言葉への感想である。
なぜこうした事件が起きたのか。研究者として、いや、一人の障害者として、私は思い悩み苦しんでいる。
ユダヤ人のほか20万人の障害者らを虐殺したヒトラーの思想に、容疑者が心酔したからか。人種や宗教など差別を理由とする「憎悪犯罪(ヘイトクライム)」と、命に優劣をつける「優生思想」の二重性。さらに、薬物の影響か――。
犯罪自体の解明は、捜査機関と司法の手に委ねざるを得ない。しかし、この事件がもたらす社会的影響と意味を、私たちは熟考すべきだ。おぞましさと不可解さの元凶を見極め、複雑な図式を解き明かさねばならない。
今回の事件を、1人の人間による極めてまれで特殊な犯罪だと見れば、不運な出来事とも捉えられるだろう。でも、それでは事件がはらむ「闇」の本質は探れない。
事件には、ある種の普遍性や社会の「病理」が背景にあると考えれば、誰の心にも潜む差別心と私たちは真剣に向き合わねばならない。実際、ネット上では植松聖(さとし)容疑者に共感するかのような書き込みが、少なからず散見される。こうした現実を踏まえると、冒頭の奈良崎さんの悲痛な思いは切迫感を増す。
労働能力という経済的価値で、人が序列化される格差社会。その中で人は孤立と不安を、他者への敵意にすり替えてしまう。互いの心を壊し合うような「負の罠(わな)」に、私たちは絡めとられていないだろうか。
命を奪われた19人の魂に報いるためにも、そして社会の崩壊を防ぐためにも、私たちは互いの「壊れそうな心」を支え合わねばならない。
湯浅 誠/ 法政大学
事件が起きた日、私は3時間前の夜11時まで、愛媛県鬼北町でNPO法人ひだまり工房の高木真弓さんたちとご一緒していました。高木さんは美容院を営む「ふつう」の美容師さんでしたが、障害を抱える娘さんの学校卒業後の働く場を探す中で、自らレストランや弁当宅配サービスを立ち上げていかれた方です。http://www.mimozagroup.com/service.html
「車で行ける範囲の施設を見に行ったが、娘を通わせたいと思えるところがなかったから、自分で立ち上げた」とおっしゃっていました。今は、行政からの支援が受けられない中、自ら2億円の借金をして、障害のある人たちや町の人たちが集える地域拠点を作ろうとされています。
翌朝、事件を知った私は、自身が受けた衝撃に加えて、ついさっきまでにこやかに話しかけてこられていた娘さんや高木さんが受けているであろう衝撃を思い浮かべ、さらに欝々たる気分を深めました。
今回の事件を受けた発信で私が心掛けていることは「とんでもない輩の仕業」と加害者をエイリアン化して片づけようとしたくなる、それ自体としては自然で素朴な欲求に対して、どのように言葉を架橋できるか、ということです。
どうしたら、加害者個人の狂気だけで終わらせず、同時に「加害者を擁護するのか!」と聞く耳を閉ざされることもなく、エイリアン化して管理の対象にして「安心」したい(それは善意の形で被害者たちにも向けられてしまうかもしれません)という自然で素朴な欲求と切り結ぶことができるか。
そのためには、その自然で素朴な欲求のもつ問題性を外から指摘するのではなく、その欲求を自らのものとして一人称で語りつつ、その不安に寄り添い、同じ不安を共有する者として語る話法が必要ではないかと感じ、毎日新聞に以下のように話しました。これをみなさんと共有して、メッセージとさせていただきます。
最後になりますが、被害者の方たちのご冥福とお祈りし、お名前をもった一人ひとりの人生が語られ、記憶に残される日の来ることを願います。
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毎日新聞2016年8月5日 東京朝刊 わたしの視点
相模原の障害者施設殺傷 命の領域、かみしめて
社会活動家、法政大教授 湯浅誠さん
重度の障害者に生きる価値がないかのように言う容疑者の発想は異常だ。日本社会でこうした考えを持った者が働き暮らしていたのかと思うと、恐ろしい。そして、その発想の万分の一でも自分が持っているかもと思うと、さらに恐ろしい。
結果を示さないと意味がない、生きる過程よりも何を生み出したか(生産性)が大事、それがなければ生きている意味がない--。このような発想がほんの少しでも自分にもあるかもしれないと思うと、自分の中にも容疑者がすんでいるようで、目を背けたくなる。
でも、目を背けるだけではなくならない。いるものをいないことにしても、いなくはならない。
プロスポーツの世界は結果がすべてと言われる。喫茶店でごく普通のサラリーマンたちが「あいつは使えない」と口にするのも聞く。スポーツや企業間競争の“アリーナ(闘技場)”では避けられないことなのだろう。
しかし、アリーナの外にも暮らしがあり、大切にされるべき命がある。それを私自身がどこまで本気で認められるのか、と今回の事件は突きつけてくる気がする。
グローバル化する厳しい雇用・生活環境の中で、私たちは知らず知らずにアリーナの価値観を肥大化させてしまっているかもしれない。蛮行をきっぱりと否定するためにも、アリーナと命の領域が自分の中できちんと区別されているか改めて検証する機会としたい。【聞き手・磯崎由美】=随時掲載
渡邊 琢/ 介護コーディネーター・ピープルファースト京都支援者
なぜ、亡くなる前につながれなかったのか?
今回、被害にあわれた方は、なぜ施設に入所されていたのだろう?
なぜ、地域社会で生き続けることができなかったのだろう?
今、どんな重度の障害があっても、地域で自立して生きる生き方が少しずつ広がっている。
知的障害があろうと、重複障害であろうと、ぼくの目の前では、地域で自立生活する人たちがあらわれている。
被害にあわれた方々は、名前すら公表されることがはばかれた。
彼らは人里離れた施設で隠れるようにしてのみ、生きることを許されていたのだろうか。
社会的には忘却されていた方々だったのだろうか。
このような事件というかたちで、わたしたちは19名の死を追悼しているが、
もしこのような事件がなければ、わたしたちは亡くなられた方々とつながれる可能性はあったのだろうか?
ここにいるどれくらいの人が、重度の知的障害者の方が多数入られている入所施設を訪問し、入所者とつながりをもとうとしたことがあるだろうか?
今回、容疑者が狙ったのは、社会からのつながりを断たれた障害者たちだった。
事件そのものは犯人が起こしたものだが、重度障害者が地域社会でなく施設でしか生きることができない社会をつくってきたのは、わたしたち一人ひとりである。
厳しい言葉でいえば、今まで見捨てておいて、今さら追悼するのは遅いのではないか。
なぜ、亡くなる前にわたしたちはかれらとつながることができなかったのか。
なぜ、施設に入る前に、地域で生き続けることを支援することができなかったのか。
今、成人の知的障害者の5人に一人は、入所施設に入っている。実数でいえば11万人。
真の意味での追悼は、社会的に忘却されている方々とつながりをつくるところからはじまるのではないだろうか。
坂上 香/ ドキュメンタリー映画監督
追悼集会を開催してくださってありがとうございます。
残念ながら月末まで東京を離れており、追悼会には参加できませんが、8月6日の同時間には皆さんの場や思いに自らの思いを馳せ、そこに連なりたいと思います。
今回の事件に関して、様々な憶測や興味本位な情報に加えて悪意に満ちた意見が飛び交う中で、私自身、ごく近しい友人に対して以外は未だ言語化できずにいます。 事件以前からずっと感じてきた「異なる者」に対する排除の姿勢や、センセーショナルな報道等によってモラルパニック状態が起こることも予測できていたからか、「とうとう来るところまで来てしまった」という無力感に苛まれています。それは、人権や人の尊厳という点で この社会が戦前戦中と変わっていないということの表れでもあるような気がして、絶望的な思いにも駆られます。
今回の事件で思い出した外国の事件があります。今から5年前、ノルウェーで起こった大量殺人で、77名が一人の男性によって殺されました。移民や多文化主義をターゲットにしたヘイトクライムでした。日本ではあまり詳しく報道されませんでしたが、本当に痛ましいものでした。しかし、大勢の市民がとった行動は、今回の相模原の事件に対する日本社会の反応とは真反対のものです。混乱の最中に、市民らが各々一輪の花を手にオスロの広場に集まったのです。「憎悪は憎悪を、暴力は暴力を生む」という内容のプラカードで広場は覆い尽くされました。その数々の映像を見ながら、私は涙が止まらなくなりました。
もちろん、映像が映し出すのは切り取った「現実」の一部にすぎません。そこに居る人々にも相反する感情や思いがあったでしょう。加害者に対して強い怒りや憤りを感じる人もいたはずです。それでもなお、人々は花を手に、憎悪とは対極にあるレスポンスを求めて集まったのです。成熟した社会をそこに見た気がするのです。それまでの社会としての経験の積み重ねを垣間見た気がしたのです。
さらには、この事件関連の博物館が、ノルウェーには2つ存在します。その2つ目は事件から5年後の今年7月、奇しくも相模原の事件が起きる数日前、 事件現場のウトヤ島にメモリアルセンターとしてオープンしたばかりです。市民の希望で、です。そこには「どのような世界を作っていきたいかを考える場所」という解説が書き添えられているそうです。
一方日本は…… 。気が遠くなります。そして、そこに辿り着けない理由はいくらでも思いつきます。絶望への誘惑にも溢れています 。それでも、あの花で埋め尽くされたオスロ広場の映像を、私は忘れたくないとも思います。
今、この時点で私たちができることは何か?
私に思いつくのは、タブーを作らず、混乱した思いや感情を十分に語り合う場をあちこちに作ること。そういう場を呼びかけていくこと。生き延びた被害者や遺族、彼らに心を寄せる人々、そして加害者やその家族・関係者……すぐには語れないかもしれないけれど、より語りやすい場を心がけていくこと。それはこの追悼に参加している皆さんがすでにやられてきたことでもあるけれど、より広く、深く、挑戦することが求められているのかもと思います。その意味でもこの追悼の集会には大きな意味があると思います。
読んでくださってありがとうございます。
松本俊彦/ 国立精神・神経医療研究センター
まずは、亡くなられた19名の方々のご冥福をお祈りしたいと思います。そして、深刻な負傷をされ、おそらくはいまだに世界に対する不信感と恐怖のなかで震えているであろう26名の方々に、自分はあなた方の味方であることを声の限りに伝えたいと思います。それから、目の前が暗くなる思いで全身から血の気が引き、力が抜けていく感覚にとらわれているであろう津久井やまゆり園の方々の肩を抱きしめたい気持ちでいっぱいです。それから、今回の事件に巻き込まれた、加害者の措置入院中に担当した医療スタッフの人たちに、「あなたたちがすべきことを丁寧かつ確実に遂行したのを知っている」と伝えたいと思います。
そして最後に加害者の方に伝えたいことがあります。先日、厚労省から要請されて2月に入院した病院の診療録を拝見させていただく機会を得ました。そのなかの記述を読みながら、あなたほど障害者が置かれている状況に絶望し、その思いを誰とも共有できずに孤立している人はいないかもしれないと感じる箇所がありました。いうまでもなく、あなたがしたことは取り返しのつかないことです。しかしその一方で、私たちはそれをあなただけのせいだけにすべきではないとも感じています。私たちの心のどこかに、あるいは、社会の至るところに蔓延する偏見、あるいは競争と排除の論理があなたを作り出したという気がしてなりません。私たちは、「誰も孤立しない社会」を目指して、自分にできることをこれからも手抜きすることなく行っていくことを、そして諦めずに気持ちを穏やかな言葉で伝え続けることを、ここに誓います。
倉西みどり/ 佛教大学通信課程学生
私は、アスペルガーと躁鬱病の二つを抱えています。それでも必死で生きていることを、今回の事件で否定されたように感じました。ただでさえ社会の偏見や差別が厳しいと感じるなかでの事件なので、ショックでした。私はあえて障害をオープンにしています。障害者のありのままを知ってほしいからです。そうやって少しでも障害に対する理解を広げていって、このような事件が二度と起こらない社会を、皆で作り上げていきたいです。
井上彩/ 自営業
こんな事が2度と無い社会を作ります
石井真太郎
障害者を家族に持つ人間として、このたびの事件にはたいへん心を痛めています。被害に遭われた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。このたびの事件は特定の属性を持つ人々を標的にした点で、明らかにヘイトクライムに当たるものです。そしてメディアでは犯人による「呪い」の文句が取り沙汰され、多く報道されました。あの「呪い」を打ち消す言葉が、この国にはひとつでも多く必要だと思います。とりわけ与党をはじめとする政党には、「ヘイトクライムを断じて許さない」というメッセージを、国民全体に向けて打ち出してほしいと強く願っています。
山口邦子
追悼集会を企画していただきありがとうございます。
多くの方と同じようにこの事件に衝撃を受けた一人ですが、同時にもうあまり触れたくないという思いも抱いてしまっています。
今回の暴力の矢印は決して障がい者だけに向けられたものではないと感じます。社会的「弱者」すべてが恐怖しているのではないでしょうか。
9年前統合失調の妹が自殺しました。私は発症せず妹は病人となり長い入院生活を送っていました。事件のニュースを目にしたとき妹がその場にいたらと想像し、被害にあわれた方々を見知らぬ他人と思えませんでした。
こわい。世の中が政治がすすむ道が、こわい。それを感知できずにいる人々がこわいです。
突飛すぎるかもしれませんが、いまだからこそ「憲法の精神」がビジュアルとして肌感覚で伝わる工夫をすべきだと考えています。
生駒 夏美/ 国際基督教大学教員
身体能力や経済力や再生産能力で、人間の価値を決めるような社会の中で、どこか必然的に起こってしまった事件のように感じています。高齢者や障がいを持つ人や子供を邪魔者扱いすることと、今回の犯人のしたことはつながっています。そのことを私たちは直視しなければいけない。その上で何が間違っているのか考えていかなければ。被害に遭われた方とどのご遺族のご心痛を思うと、いたたまれません。
芦田智司
彼は何に行き詰まったんだろうか?
行き詰まった時に、他者に責任転嫁すると気が楽になる。君の苦労の原因は、税金の無駄遣いをしている障害者対策なんだよ……君は決して悪くない。劣ってもいない。……と、誰かに甘く囁かれたら、その言葉に頷くのが一番気楽な生き方じゃないですか?
現代社会に適応しづらい人達、というだけで除外・抹殺した方が良いという犯人の思想を、間違っていると説得するためにも、その間違った思想を明確に論破する言葉を、常に自分のものにしておくことが必要ではないでしょうか?自分よりも下の対象を見出だして差別・愚弄するという考えの刃は、何時か自分に向かって来るのだから。
淀川富士子/ 慶應義塾大学文学部(通信教育課程)在籍、会社員
この度の事件により尊い命が奪われたことに憤りを感じます。難しいもんだだという人がいますが、ひとり1人の命を、生を、尊重すること。シンプルに、その想いをきちんと認識する事に難しい、という理由はどこにあるのでしょうか。
中村美耶/ 学生
今回の事件で犠牲になられた方、残された方の恐怖や悲しみを思うととても辛いです。今回の犯行やその動機となった思想は決して許されるものではありません。そして、そこにある根本的な問題を見つめようとしない社会全体の態度も同様に卑怯なものだと思います。私たちは日本社会に存在する冷たさを、私たちの課題として受け止め、共に解決しなければならないのだと思います。
竹田克也/ 惣菜屋自営業 兼 音楽家
その日になるまで生きていた命、そして未来に希望を抱いていた私の同胞たちの想いに深く哀悼の念を送りたいと思います。
福良薫
私達の娘は2歳の時、脳症で重い障害を持ちました。話せず歩けなくなっても、変わらず、私たち家族の最愛の存在です。亡くなった方々と何も変わりません。このあまりに悲しい理不尽の犠牲になった方々の魂が少しでも報われるためにも、この事件を、世の中が少しでも良い方向に変わるきっかけにしなければならないと強く思います。
木下真/ 日本子ども学会事務局長
社会の役に立つとは何か。職業をもつことか、税金を納めることか、学問で業績をあげることか、芸術作品を生み出すことか、パラリンピックで金メダルを取ることか・・・・。今回被害にあった人たちは、日々生きていくだけで精いっぱいだったに違いない。でも、それのどこが悪い。なにがいけない。彼らは、家族に、仲間に、そしてどこかの誰かに必要とされ、愛されていた。そのことだけで尊いし、十分社会の役に立っている。
きわめて重い障害をもつ人たちが安心して生きられる社会であるということが、どれだけ私たちの社会に信頼と安心を与えることになるのか。今回の事件が、私たちの社会に大きな失望と不安をもたらし、いかに人々を殺伐とした気持ちにさせたかをみれば、彼らが果たしていた役割もおのずとわかるはずだ。”
稲垣 香名/ 東調布教会付属ぶどうの木幼稚園 教員
家族として、そして仕事を通じても障害のある子どもたちと多くの時を過ごし、成長を見守らせて頂きました。
神さまは色々な条件を持って生命を創り出されます。その事に対し、哀しみや憎しみを持った時もありますが、彼らの悩み苦しみ、そして喜びに寄り添う日々の中で、そんな事すら忘れている自分に気づくと、この日々が当たり前になっていたのだと思いました。
そう、私達は私達なりの当たり前の日々を暮らしています。それを異端と見られ、排他すべき対象として見られていく事は本当に恐ろしいです。
私達は頑張る事が日常です。ただ『普通』に生きる事すら頑張っているのです。障害を持つ者も、それを支える者達も。
どうかそれを理解してくれる人が増えますように。
そして懸命に支えてくれる人達が、疲弊して狂気に満ちずに済むような、サポートする者もサポートできるような社会を作れますように。
全ての生命が当たり前に大切にされる国になりますように。
亡くなられた方のご冥福と、残された方の心の平安をお祈り致します。
豊福 直樹
今回亡くなられた方のご冥福と傷を負われた方のご回復を祈念し、ご家族、ご関係者皆様方の深い悲しみ怒りに思いを寄せ、『すべてのいのちと尊厳が守られる社会、その未来をめざす』その趣旨に心より賛同します。
工藤花恵/ 高校生
今回の事件を受けて、同じ障害者として、「障害者を排除しよう」という動きもあるかもしれませんが、それ以上に「障害者はかわいそう」という風潮が広がってしまうのではないかと怖く感じました。しかし、障害者について考えるきっかけに社会全体がなればいいなと思います。
横山 明美/ 日本高次脳機能障がい運動部部長・大阪教育大学大学院教育学研究科健康科学専攻社会教育学講座無給研究員 僻地医療から夜間大学院心身健康研究室ゼミへの移動中の追突による交通事故にて高次脳機能障害・左麻痺 障害年金生活者 日本栄養士会・日本渡航医学会・日本運動療法学会・日本国際保健医療学会い会員
さようなら
南部紀子/よさこいチーム あじゅら 保育士
津久井やまゆり園で亡くなった方々に心から哀悼の意を表します。
私は、あじゅらというヨサコイのチームで踊っています。
『わたしは、わたしでいい。あなたは、あなたでいい。そんな単純なこと、伝えていきたい』という歌が今年の踊りの中にあります。
これは、脳性麻痺を生きているあじゅらの仲間が書いた詩です。
車椅子の人、知的障害の人、精神障害の人、家族、支援者、ボランティアなどいろんな人が一緒に踊っています。私はお医者さんにもらった病名はありませんが、あじゅらの仲間と踊るのが何より好きです。踊りながら仲間と目と目が合うと心から楽しいし、私の魂が喜んでいるのがわかります。
障害がどんなに重くても祭りを楽しむ心はみな同じ。私たちが楽しく踊れる社会が平和なんだと思います。
8日はお祭りで踊っています。こんな時だからこそ、あじゅらが元気に踊る、それが何よりの追悼だと信じます。
石田すず/千葉ダルクスタッフ
悲しみを受け入れた時そこには明るい未来が広がるくじけない心だと思う
石川翠里/精神科医師、知的障害者と精神障害者の家族
とてつもない衝撃と怒りとショックを受けた事件です。わたし、そして家族は障害者の存在をとても尊く思っております。家族として、そして精神科医師として、貢献したいと思っております。皆様のご冥福、そしてご回復、今後の人生に希望や幸せがあることを祈ります。そして、今後も障害者が自信を持って明るく人生を送ることができるように、それを家族が、社会が支えられるように、なにかしたいと思っています。
山本眞理/世界精神医療ユーザーサバイバーネットワーク理事
なぜだ、なぜだ、という疑問を持ち続けたいと思います。彼を処刑してはなりません。今なぜ事件が起きたのか、市民も政治家も行政も徹底して総括作業をしなければなりません。そして何より19人の方お一人お一人の命と人生を私たちは学んでいかなければなりません
なぜだ、ということを静かにそして深く考えながら、ひとりひとりの命を見つめることが大切です
植村太郎/神戸労災病院 精神科部長
追悼集会開催に強く賛同いたします。全ての傷付いた魂に平安の時が訪れますように。
「連帯を求めて孤立を恐れず」(谷川雁)
沖田育子/児童福祉司
精神科医療、精神保健の在り方がこれを機に40年以上戻ることにならないかと危惧しています。
齊藤里依/困り感を抱える子を支援する親の会/らっきょうの花
どんなに怖かった、痛かった事だろうと思います。
亡くなった方を悼み、今も怪我安くてトラウマと闘っている方々の心と身体が少しでも癒されますように。
また、1日も早く施設の日常が帰ってくることを祈っております。
西浦竹彦(にしうら・たけひこ)/ 医療法人遊心会にじクリニック 医師
無念この上ない事件で犠牲になられた19名のお一人お一人の苦しさ、また大切な家族を奪われた皆様の辛さ悲しさに、呆然としています。命を尊ぶ社会であり続けることを祈ります。
相良 翔/埼玉県立大学 保健医療福祉学部 助教
亡くなられた方々に心から哀悼の意を表するとともに、被害を受けられた方々が快方に向かうことをお祈りします。
想像を絶する事件が私達の前に現れたなかで、それを説明できるような術を持てない状況が続いているように思います。
安易に過去の術に頼らず、いまこの状況を説明するための術を私達自身で作り上げる必要があると感じています。
危機的な状況に対して、説明ができないからと目を瞑らず、人々が供に立ち向かっていける社会になるためにどうすればよいのか。
そのために尽力せねばならないと感じております。
長徹二/精神科医
全ての生命は尊く、その存在に優劣はない。
人間を機能で観るようになれば、それは奴隷になる。
人間は存在するだけで価値が十分あるのだ!
伊藤加奈子/ココカラウィメンズクリニック
障害者の方の生活が心地よいものであるのは勿論、優しく、愛にあふれた社会を未来に用意することが、私たち社会の大人に与えられた使命であると思っています。亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。お怪我をされた方々の心身の早い回復を心よりお祈り申し上げます。
瀧 泰元
謹んでお悔やみ申し上げます。ご家族、友人、知人などの方々の心痛、お察しします。障害当事者であり精神保健福祉士としてサポートする立場でもある私としても、この現実を心に刻みます。まずは皆さまの身体や心の回復を心からお祈り申し上げます。
紀平省悟/和歌山つくし医療・福祉センター 小児科部長
熊谷さん、綾屋さんたちの呼びかけに賛同します。亡くなった方々のご冥福をお祈り致します。そして、歴史の歯車を戻すような動きに強く異議を唱えます。
久住 紀美子/介護職員
名前も、顔も分からない19人の方。
さぞや無念だったことでしょう。
決して他人事ではありません。
見ない、見えない、見たくない、見ないふり、そんな事を私たちはあなた方にしてきたのだと思います。
お許しください。
どうか、安らかにお眠りください。”
横田眞人
どんな人も「生まれてきてよかった」と思える社会にしたいです。今時点では予定が入ってしまっていますが、何とか都合をつけて、遅れてでも参加したいです。
山本 大/藤岡ダルク ディレクター
この度は、このような悲惨な事件が起こり本当に心痛く感じます。ご遺族や津久井やまゆり園の職員、関係者の方々の無念さを思うと怒りすらおぼえます。
お亡くなりなった方々に哀悼の意を表するとともに、怪我をされた方々のいち早い回復を願います。
中山 理美/特定非営利活動法人ジャパンマック ファミリーエイド
すべての皆様の上に神様の恩寵がありますように心よりお祈り申し上げます。
厚坊浩史/奈良県立医科大学附属病院 臨床心理士
今回の件、命を落とされた方々のご冥福をお祈りします。また、関係者、関係機関が1日でも早く日常を取り戻されることを願います。今回の件で揺るがされたものがたくさんある中で、大事なものを見失わないようにする必要があると思います。地域との交流、解放された空間が失われないように今一度切に願います。こんな時だからこそ、私たちの願いが一つになりますように…
北村めぐみ/手話通訳・手話講師
ご冥福をお祈りいたします。もう二度とこんな痛ましい事件が起きないように、そして、この事件によって障がい者が地域社会と分断されないよう祈りつつ行動していきます。
堀辺慶一/大阪府立千里高等学校 教頭
人は人として尊重されなければならない。いなくなった方がいい人は一人もいません。
今成知美/特定非営利活動法人ASK(アルコール薬物問題全国市民協会)代表
言葉にならない衝撃と無力感を感じている一人です。
根源的に考えなきゃいけないことがあまりにも多すぎて、相当混乱しています。
でも、その中でむくむくと頭をもたげてきているのは、「これは言語道断のヘイトクレイムだ!」「テロだ!」「こんなこと、私たちは断じて許さない!」と、まっすぐ言う必要があるんじゃないかという思いです。
こんな思想を社会に伝染させてはいけない!
後戻りはごめんだ!
人間の力を、未来を信じる連帯の中に身を置きたい。
参加します。
佐々木卓司
亡くなられた方々の恐怖と悔しさを考えると、自分達の無力さに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
日本で福祉教育や福祉政策の考え方に、障害者=弱者に対する配慮、という構図があります。これが差別の元凶であることが認識されていません。配慮ですから、配慮しなくても犯罪になりません。配慮だから、予算が足りなくなれば国も支給を減額し、その措置に対して当事者以外のひとは、しょうがない と納得してしまう。稼げる人間の恩恵の上にあんたらはいるんだから
この思想は戦後70年たっても変わっていないようです。
この 福祉=弱者への配慮という思想から
福祉=人権を保証する事。
人権を犯す事は犯罪になる。これを教育においても、社会的共通認識として、変えていかなければなりません。それをやるのは私達障害者しかいないです。”
小山裕子/キャパシターインターナショナルジャパン
私たちは、東日本大震災で傷ついた方々に、トラウマからのセルフケアを紹介する活動を行っています。
理不尽な理由で命を奪われた方、傷つけられた方の家族の苦しみや嘆きは同じなのに、障害を持つ方だったからと被害者の名前すら報道されない、尊厳を損なう扱いは納得できません。この様な特別な扱いは、優生思想を助長こそすれ、失くす助けにはなりません。この様な痛ましい事件を再び起こさないためには、社会全体が精神神経疾患は身体的疾患と同じく治療し回復を目指すものであり、患者の人権を損なう行為はゆるされない事を確認する必要があります。
亡くなられた方のご冥福を祈ります。そして、この事件が社会に与えた衝撃を、薬物使用者の、医療機関への通報義務付与のような誤った方向へ導かない様強く求めます。
矢崎 与志子/当事者NPO法人理事
この事件の数日後に小池百合子氏が都知事に当選しました。言葉を巧みに操る強い指導者に熱狂する市民。ヒットラー出現前のドイツと同じ空気を今の日本に感じるのは私の杞憂でしょうか?この地球上に無駄な生命など無いということを全ての人に知ってほしい。そう、植松容疑者の命も、この世に生まれたかけがえのない生命であることを胸に、この事件を考えなければいけないと思います。
石澤ひとみ/介護福祉士
一人の手が奪っていったものは命と他者への信頼。取り戻せぬものと取り戻すもの。その大きさに立ち尽くすばかりです。他者への信頼を取り戻すべく頭を垂れ声を聞き、震える手と手を繋ぎ、前に進まねばならぬと思うのです。
黒坂愛衣/東北学院大学准教授
この事件で命を奪われた方々に哀悼の誠を捧げますとともに、居住者および職員の方々に心からお見舞いを申し上げます。
優生思想にもとづく憎悪犯罪の殺人がおきる社会になってしまったことに、大きな戦慄を覚えます。人間(あなたやわたし)は存在するだけで尊い、存在するだけで価値があるーーそのような見方こそが人間社会を豊かにすると信じています。”
麻田法江
この事件は、障がい者とって重たい問題ですね。私も、同じ障がい者です。
水民潤
このような事件が2度と起こらないように、共生可能な社会を
辻淳子/無職
心の中で たくさんのことと向き合うことを お誓いします。
どうぞ 安らかに おやすみされますように !
場所は違えど 心より お祈りいたします。”
H.M.
精神障害当事者です。
「生まなければよかった」「生きているだけムダだ」と罵られ殴られ続けた家族からようやく離れ、焼きつけられてしまった自分の命への罪悪感を、薄紙を剥ぐように、少しずつ取りのぞいてきました。
信頼できる人と出会い、信じられる人をひとりひとり広げて、社会につながることができたおかげです。社会につながれなかったら、どうなっていたかわかりません。
誰も社会から孤立させちゃいけない。
「安心して堂々と生きて」という当たり前の言葉が、一日も早く私たち皆の心に帰ってきますように。
19人の仲間たち。
守ってあげられなくてごめんね。
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