お寄せいただいたメッセージ(国内編)その4

岡原 正幸/慶應義塾大学文学部教授
理不尽すぎます。言葉では尽くせません。亡くなったみなさん、被害に遭われたみなさんと共に僕はあります。障害のあるなしに関係なく、みんなが一緒に生きていこうと思い、それに向けて尽力してきた数え切れない個人や家族や団体と共に僕はあります。これからもいつまでも、僕はみなさんと共にあります。

眞子 恵/手をつなぐ育成会 会員、 市手話サークル会員
この度の事件で亡くなられた方、
そのご家族の皆様にお悔やみを申し上げますとともに、
被害に遭われた皆様の1日でも早いご回復を心よりお祈り申し上げます。
命、この世に生を受けた尊い光は何物にも変えられません。
それは万人皆等しく、愛おしく、守られるべきものです。
心身にハンディがあり社会に生き辛さを抱えていても、彼らは前を向いて堂々と活き活きと暮らしているのです。
私たち支援者は、彼らの姿勢から多くを学び、共鳴し、笑顔を守りたいと心から思っています。
この事件においては、悪しき時代の思想を彷彿させるものではありますが、
いたずらに不安や恐怖を抱くことは良いこととは思えません。
私たちが揺さぶられてしまうと守りたい人々に影響を与えます。
私たちは彼らにとって最も近い存在であることを自覚し、
現段階では家族や支援者が「大丈夫!」だと信じ、
愛情を注ぐことが大切だと思っています。”

門脇陽一/教員
一人でも救われる方が増えれば!

笠間 睦/榊原白鳳病院 日本認知症学会専門医・指導医
こうした事件を繰り返さないためには、他の人の辛さ・苦しみが理解(共感)できる人間形成が必要不可欠だと思います。
ただそれをどう形成するのか? 「共感」できない人を「共感」できるようにすることのむつかしさ。
それがもし技術的に可能になれば、認知症の人の気持ちに自然に寄り添えるようになり認知症ケアにも寄与しますし、発達障害の方が空気を読めないことの解消にも繋がり発達障害の方の自立支援にも寄与すると思います。
犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

廣川麻子/NPO法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク
少しの時間でも共有したく、終わり頃になりますが参上いたします。

西 幸代/全国ぷれジョブ連絡協議会 代表世話人
「津久井やまゆり園」で亡くなった方たちを追悼する集会に寄せて
全国ぷれジョブ連絡協議会
代表世話人  西 幸代
このたび、犠牲となった19名の貴いお一人お一人の命に、心より哀悼の意を表するとともに被害にあわれた方々の心身の順調な回復を心よりお祈りいたします。
また、ご家族の皆さま、そして一歩一歩の生活を支えてこられた皆さまの、心の痛みは如何ばかりかとお察しいたします。
この集会の催される6日、私たちは、新潟市で、全国でぷれジョブを行う人々の集う会を開いております。
この活動は、障がいの有無にかかわらず、共に暮らしやすい社会を創り出す活動です。
私たちは、障がいのある子どもたちの存在を、地域をつなげてくれる大切な存在、周りの人々に対して、「人にものを考えさせるジョブ」をしている存在、と考えています。
ゆきすぎた競争社会のもと、バランスと寛容さを失い、本来、誰の中にもある「人らしい優しさ」が壊れていく時代に、「お金を稼ぐジョブ」とはまた次元の違う、「ひとにものを考えさせるジョブ」をして「いのちの価値」を教えてくれる存在、として活動をつづけてまいりました。
私たちは、これから『すべてのいのちと尊厳』が大切にされる、実態のある共創社会をつくろうとする時、無くてはならない存在で、太古の昔から変わらず小さな声で教え続けてきてくださった不易の存在、であると考えています。
私たちにできることは、これからもぷれジョブ活動を続けていくこと、障がいのある人を真ん中にした、ゆるやかな温かいつながりを広げていくことだと思っています。
まだ「いのち」の本質に触れたことのない人々に、これからもっと「いのちの価値」を伝えていくことを、19人の御霊の前にお誓いします。
6日の同じ時刻に、新潟の地で、私たちもみんなで黙とうをさせていただこうと思います。
祈りの時には、ぷれジョブの四つ葉(障がいのある子ともたち・地域住民・地域の企業・学校)の真ん中は空白ですから、きっと亡くなられた方々の魂が私たちの集いの真ん中に降りてこられると思いながら、祈りを合わせます。
死者の皆さま、どうか遺された私たちが、これからも希望をなくさず、連帯できるよう見守ってください。
平成28年8月3日

松岡智広
知的障害を持つ子どもの父親として、今回の事件に激しい怒りを覚えるとともに、事件に対する怒りの声が社会に大きく広がっていないこと、特に自省的な視点が見られないことに愕然としています。この事件は決して特異な「異常者」の犯行として片付けられるものではなく、障害者をはじめ多くのマイノリティを意識的にあるいは無関心・不作為というかたちで疎外・排除し、個々の生を軽んじてきたこの社会のありようこそが、この犯罪者の歪んだ考えを培養し、遂には刃が振るわれるまで放置・容認してきたのだと私は考えます。また、このような社会から集まる不幸な他人事としての同情の視線、特に障害者の生を憐れむような視線には、この恐るべき犯罪と重なる、命を序列化する選別の思想が隠れ棲んでいます。殺され、傷つけられた人々の底知れぬ痛み、悲しみに対して、私たちが出来ることは、すべての生はひとしく、いとおしく、尊重されるべきものであるという、本来ならば社会の出発点であるべき大原則が、人々に広く共有されていないという、この犯罪が暴きだした現実に向かって、まずははっきりと声を上げ、そして上げ続けることでしょう。

高野昭子
相模原市に住んでいます。この事件は大変な衝撃を受けました。現在の日本を覆う空気が、このような犯罪者やその共感者を生んでいるように感じています。
時計を過去に巻き戻さないためにも、私ができることをやっていきます。

小笠原勝二/西多摩精神障碍者家族会(通称:西多摩虹の会)
このたびの津久井やまゆり園で起こったことは、言葉では言い表せない理解に苦しむ残念な事件です。
被害にあわれ19名の亡くなられた方々には、こころよりご冥福をお祈りするとともに、ご家族の皆様にはお悔やみ申し上げます。また26名の負傷された方々の一日でも早い回復をお祈り申し上げます。
今回の事件に合われた利用者、そのご家族、支援者や関係者の方々の地域とのかかわりを重視してこられたことに敬意を表します。私は精神障害をもつ子を抱えた家族のひとりですが、皆様のこの取り組みを無にすることなく、今後も障害の有る無しに係らず1人1人の生き方が尊重され、またそれぞれが達成した貢献が評価される社会つくりに、微力ながら係っていく所存です。

田中理香/スタジオ リカ クリニック 院長
アピールの主旨に同意いたします。ひとりひとりが自分の中にある優勢思想、差別思想に気づき、障害は誰の中にも程度が異なるだけで存在すると考える人が増えることを切に望みます。

匿名希望
大変痛ましい事件で、被害者の皆様のご冥福をお祈りすると共に、ご家族と施設職員の皆様の早い回復を祈ります。
まず、匿名での投稿をお許しください。
私は介護職を数年続け、心療内科により不安障害やうつ病との診断を受け、今年の3月で自己都合退職した者です。8月現在、福祉の手当てにより生活しています。介護施設の経営方針や、無茶な人員配置などへの不満も人並みにあります。
つまりこの事件の犯人と、ある程度まで同じ属性を持っています。違うのは、犯人を心から軽蔑していること、過去の職場や、利用者さんを狙うほどの憎しみは理解できないことぐらいです。
犯人は、措置入院の経験により「精神障害」のひとことで片付けられていますが、本当に病気としての精神疾患なのでしょうか?私は診察時、仕事への不満を精神科医にぶつけたら、すぐに「不安神経症」と診断され、それに驚いて休職、退職となりました。今でもそれがどういう根拠なのか、実はよくわからないのです。意識をぼやけさせて、感情を薄くするのが治療なのか?よく分かりません。
追記すると、私は中学時代からの長年のひきこもり経験があり、おそらく自分の挙動のおかしさ、緊張の強さ、そして勉強不足(何しろ私は30を超えているのに、中学の数学がわからないままなのです)は、そこに端を発していると思います。ですが、他人に話さなければ年相応の雰囲気に見えるようなので、普段は黙っています。介護の仕事しか出来ないから、ついたというのが実態です。
将来、手当てが切れたら私は再度仕事につくことが出来るのか、強い不安を感じています。やっていけるなら私は仕事がしたいし、人並みに稼ぎ、人並みに良いパソコンの一つも買いたい。状況が許せば学校にも行きたい。
でも、もう失った人生の挽回は不可能でしょう。病気と関係なく、社会からすれば精神障害者と言えるのでしょう。では、私は措置入院で、社会的に隔離されるべきなのでしょうか?ずっと考えてしまっています。
本当にそれしか道はないのなら、私がこうやってパソコンで言葉を送れるのも、あとわずかなのかも知れません。なら、その社会に従って自分が滅びるのを待つだけしか出来ないのでしょうか・・・。
でも、私は少々働き、いろいろなイベントを見ることが出来ました。偏見を持っていた人も、直接会うことができたらまったく印象が変わります。できればみんなと一緒に、楽しく生きていきたいです。
集会の趣旨とちがう文章で申し訳ございません。当日は絶対に参加したかったのですが、通院により向かうことが出来ません。こころより応援しています。どうしようもない事件であっても、ほんのわずかでもマシな結末がありえるよう、また、私のような状況の人が、少しでも憎むことでなく、人生を楽しむことができるよう、この世の中が変わることを祈っております。

岡田 伊弘(おかだ よしひろ)/生活困窮者自立相談支援機関 相談支援員
かつて知的障害福祉について学んでいました。私の仲間は、知的障害福祉の現場に今も多く働いています。今回の現場となった施設にも、以前勤務していた仲間がいます。
私も同期の仲間たちも、深い悲しみと戸惑いの中にいます。利用者さんとそのご家族に思いをはせます。なぜ殺されなければならなかったのか。そして、その施設に勤務していた我々の仲間・後輩たちに思いをいたします。彼ら・彼女らは「どうして守ってあげられなかったか」と自問自答しているのではないか、と。それは私も同期の仲間たちも同じです。
そして私自身は、現在精神疾患を持ち、症状に悩まされながらも懸命に生きている人々の伴走をする立場でもあります。
この犯罪が精神疾患の為せる所業であるのなら、自分もそうなるのではないか、というおそれを持ってしまい、そのことで悩まされています。「障害」と判定されていなくても社会的に孤立している人たち(俗に言う『ひきこもり』たち)もまた、「社会的に『いらない人たち』の生が否定されるのならば、自分もまた生きる価値がない」と考え、自らを追い詰めてしまいます。つまるところ、優生思想の行き着く先は、“健常”な者も含め、すべての人間の人格と人権の否定でしかないのです。
今回亡くなられてしまった方々のご冥福をお祈りし、残されたご家族・入居者の方々・施設職員の皆様にお悔やみ申し上げますとともに、ご快癒を心よりお祈り申し上げます。
そして、福祉にかかわる仕事に携わる我々は、このことから目を背けてはならないし、黙していてはならないと思います。”

五十部 桃子/社会福祉法人ときわ会 あさやけ風の作業所施設長
想像を絶する凄惨さと理不尽さに、事件と自分の距離感がつかめないでいる。
私は、被害者たちが暮らしていた施設と同じようなところで容疑者がしていたような仕事をしている。被害にあったのは日々顔を合わせている障害のある人たちだったかも知れなかったし、容疑者は私が関わる人間だったかも知れなかった。加害に至ったこの人物を「モンスター」と切り捨てても事件は終わらない。
被害に遭われた方々に今は祈りしかない。
どうか。どうか、魂に被害発生時の痛苦が続いていませんように。ただ、このような願いが許されるなら。
安らかに眠らないで下さい。私もまた苦しんでいかなくてはいけないのです。

叶野みずえ
排除は社会をより小さく生きにくくする

滑川 明男/NPO法人仙台グリーフケア研究会
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

栗田
心からご冥福を祈りたいと思います。事件後、加害者の人物像や動機などについて色々と報道されていますが、少なからず介護の道を選んで3年間もやまゆり園で働くことができた彼が、真に悪に満ちた人だとは思えません。何故このような事件へと発展してしまったのか。どんなに献身的にケアしても「ありがとう」という言葉を聞くことはできず、蹴られたり噛まれたり。そんな経験ありませんか?本当に大変なんだと思います。介護現場での入居者への暴力もたびたび耳にします。このような施設で働く人の心の傷や悩み、苦しみ、葛藤、ストレスについてもっと私たちは関心を寄せるべきではなかったかと感じています。命と尊厳が守られるために私たちは何をしなければならないか、これを機会に考えたいと思います。

高梨志津
今回の事件で亡くなられた方に謹んでお悔やみを申し上げます。また、怪我をされた方が早く回復し、事件に遭遇した方が早く安心して過ごせますように。皆さんは一人ではありません。

西脇 舞子/特別支援学級 介助員
職場の仲間を代表して被害に遭われた方々には哀悼の意を述べさせて頂きます。
ご家族の方々も、大変大きな衝撃を受け、今も尚苦しい思いをされていると思うと、私どもも強い憤りと悔しさしかありません。
施設で暮らす皆さまへ。
生きていて、産まれて来て、必要のない人はいません。
皆さんの幸せを願い、日々の穏やかな暮らしと笑顔を喜びと感じている者は、たくさんいます。
どうぞ、自身の存在の価値を感じて下さい。

飯田あゆみ/主婦
同じ市内の出来事で、衝撃を受けています。命の軽重という話ではなく、人権の保障は権利であり義務であることを、子どもたちにきちんと伝える必要があるなと思っています。同世代に生きている限り、無関係な人なんて、誰もいない。

内山欣子/株式会社ダンク 出版事業部
この事件について、有識者の方々の分析や思い、メッセージなどを広く集め、公開し、共有する必要があるのではないかと思っています。

福田開史/東京大学法学部3年
これからの社会にどうあってほしいか、その中で自分がどうありたいか、誠実に問い続けます。

山口雄大/東京大学の大学院生
この事件をどう捉えて心の中に置けばいいのか、そのヒントが見つかればと思います。

加藤園子
生まれてきてくれてありがとう。大事に思っている人がいます。いらない人間なんていない、そういってくれた人がいます。信じたいと思います。

小島 千洋
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私の息子も自閉症という障害を持って生まれてきました。
この度のことで本人は動揺しいつ自分の身に、と怯えております。
息子には知的な遅れはありませんが、それだけに恐怖は倍増するようです。
相手の気持ちが読めない彼にはどう判断していいかわからないので
どんな人が危ないのかそれすらもわかりません。
どつするとあのような人間が生まれるのか、わかりませんが
学校教育の中で障害について小さい頃から教えなければいけないと
感じています。あたりまえの存在である人間としての障害者を認めることからではないでしょうか
取りとめなく書いてしまいました。ごめんなさい。
ご家族の思い、もちろんご本人たちの無念さ計り知れないものがあります。
少しでも寄り添って差し上げたく筆をとりました。
明けない夜はない、坂本龍馬の言葉です。一助になれば幸いです。
横浜市 小島 千洋

稲葉麻里子/設計事務所の事務員、大学と専門英語学校の非常勤教員をしています
親の同じ行為によって生まれる、たかが人間という一動物なのに、その身体の特徴が多い方の「多数派」が、地球環境を支配し、その腕力が、「多数」で人間を「障害者」と勝手に名づけ、牛耳っています。多数派の身体と違う状態にあるにすぎず、数が少ないというだけの人間が、少数というだけで迷惑のように、偏見をもたれ、虐げられていると思います。人間社会は、数が多い側の都合で作られているだけなのではないでしょうか。「障害者」という呼称自体、数の暴力のようです。今この瞬間は多数派=「健常」と思っている人たちも、いつどこで事故や事件にまきこまれ、病気に罹ったりして、「不自由な」状態になるかわからないのです。このやまゆり園での事件を他人事ととらえる人達は、いつかその報いが来るでしょう。身体の状況も、脳の働きも、男も女も年齢も国籍も関係なく、人間はすべて小さく弱い生き物に過ぎないはずです。せめて生きている間は、お互い傷つけず、邪魔せず、多数が少数を仕切るのではなく、命を尊重し合って過ごせる世の中にすべく、思いを同じくする方々と共にありたいと思います。

城戸優子
あの日から、お名前も知らない、お亡くなりになったお一人お一人とご家族のことを想わない時はありません。恐ろしくて足元がすっぽり真空になってしまうような恐怖を感じます。ご家族のことばにひたすら涙が出ます。その喪失は想像すらできません。そっとしておいて、とおっしゃるお気持ちが乱されない暮らしの中に、みなさまがありますようお祈りするばかりです。私は障害者当事者でもその家族でもありません。しかし事件とそれに続く世の中の反応や言動に、私の大事な家族に起きたことが重なり日々想起され、堪え難いものがあります。私の家族はインクルーシブを実践する場所で、ある被害にあい、大人に発達障害のレッテルを貼られ、専門家に否定されると次に精神疾患のレッテルを貼られ、それも医師に否定されるとそこから追放されました。そんな中で親である私は今回の呼びかけ人のお一人と出会うきっかけもうまれましたが、今回事件をめぐり、今生きている同時代の人々の無関心や、無邪気で稚拙な排除の論理を改めて思い知り、偏見への恐怖を感じています。拙速に持ち上がった制度の見直し等は、浅慮であれば危険な排除の道具となりかねないとたいへん心配しています。障害を持つ人も精神の疾患を持つ人も自分が何ものなのか迷い悩んで成長する途中の人も、それぞれの幸せを実現し、あるままでOKと思える関係性の構築に自分も歩みを向けたいと思います。追悼に集まられた方々、呼びかけ人の方々の知恵と声をどうか拡げて下さい。あらためてご冥福をお祈りいたしますとともに、治療中のみなさまの回復と、壊された生活がすみやかに取り戻せることを望みます。

小関 真澄/看護師
今日一日を大切に、一日、一日を重ねることは、この世に命を与えられた限り、すべての人にゆだねられた権利だと思います。この悲しみのその先を、その奥を、ひとりひとりが考えて、今日一日生きていくことができますように。

松本 幹雄
それでも、世の中は良い方向に向かっていると信じています。ぜひ、これからも堂々と前に進んでください。応援いたします。

良元 竜次
献花に行ったら、多くの報道陣囲まれ「お知り合いがいらっしゃいましたか?」と聞かれた。いや、居ませんと答えた。しかし、考えてみれば、誰が被害にあったのか分かっていない。もしかしたら、友人、知人が被害にあっていたかもしれない。何故、名前を公表しないのだろう?故人の生きてきた証を、このまま闇に葬られてしまってはならない。

中島由宇/臨床心理士
日頃知的障碍をもつ方たちとご家族に関わっています。この事件に、いいようのない衝撃を受け、激しい憤りを覚えます。こうした事件の起こったことに強い危機感を抱いています。彼らはまだ、この事件から受けた傷について、多くを語っていないと感じています。彼らは五感でこの事件を感じとり、じっくり咀嚼し、いずれその傷と不安を、数少ないことばと身体や行動のサインでひっそりと表現することがあるのではないかと思って、今は彼らの安心の確保に尽力し、彼らの微かな表現に備えて敏感に受けとめられる態勢であろうと思っています。彼らの思いに、社会はこれまで極めて無関心でした。このような事件の後ですら、社会は無関心を貫くのでしょうか?耳をすませないと、彼らの思いは決して聞き取れないのです。

西村 理佐
”生きる”ということは、”いまそこに在ること”です。その人が目の前にいて手を伸ばせば触れることができるということ、触れればやさしく温かいということ、その存在が愛しいということです。その存在に重いも軽いもありません。違う生き方をお互いに受け入れることは簡単ではありませんが、お互いに生きていることを喜び合える社会を作るべく、胸を張って生きていきます。

市岡
この信じられない事件が起こり、憤り、悲しさ、悔しさを感じました。
そして、加害者の情報なんかより、本来なら年齢、性別だけでなく、1人の人として、被害に遭われた方々のドキュメントのようなもの、今までの尊く、当たり前に生きられたはずの人生を知りたかったです。
(ご遺族の配慮を否定するわけではありません。)
これから前を向いて、あなた方の命を無駄にしない、前向きな姿勢で、支え合いながら生きていけるよう、努力したいと思います。
御冥福をお祈り致します

磯崎敦子/社会福祉法人明星会事務長
事件でお亡くなりになられました方々のご冥福を心よりお祈りいたします。また、負傷された方々の一刻も早い回復と、関係者の心的外傷が深くならないことを願ってやみません。
私は「津久井やまゆり園」と同様、神奈川県にございます知的障がい者施設で事務長をしております。このニュースを知った時、私も大変なショックを受けました。被害者の方々、そのご家族の方々、施設職員の方々、かながわ共同会関係者の方々、そして今回の加害者でさえも、私のまわりいらっしゃる同じ立場の人々と重なってしまい、その一人一人の思いを察すると身につまされ、とても他人事ではいられません。
事件が大きく報道された後も、事件のことなど何も知らない私共施設の利用者様は、いつもと変わらない生活をしていられます。その笑顔に接しておりますと私の気持ちが和むのと同時に、なぜこのような方々にあのような惨いことができたのかと、改めて憤りを覚えます。
今回この追悼する集会に参加させていただき、様々な立場の皆様と「すべてのいのちと尊厳が守られる社会」への思いを共有させていただきたいと思います。”

山本以文/社会福祉法人友愛学園施設長
津久井やまゆり園で尊い人命が失われたことを深い悲しみのうちに受け止め、ご家族の方たちに哀悼の意を表します。また、この事件の影響を受け、深く傷ついたすべての人たちに、今も、これからも、私たちは傍らに寄り添うことを誓います。

浜砂/看護師
今回の事件には大勢の人が(犠牲者やその家族だけでなく)大きな衝撃を受けましたね。私は、地域で看護師として障害を持っ方のお世話をするだけでなく、自宅でも重度の障害を持つ弟の介護をしています。一昔前まで、犯人のように弟のような障害者に対して偏見を持つ人や嫌悪感を顕にする人がいました。それは何故か?簡単です。障害や障害者に対しての知識や情報がないからです。現在ほどネット等の情報が入らず、障害や障害者に対する理解や知識がなく無責任な噂やデマに惑わされて来たからです。かくゆう私も十代の頃は、弟が邪魔に感じてた時がありました。しかし、看護師の道を目指し学んだ結果、その気持ちは180°変わりました。両親が早くに他界したこともあり妹と介護していますが、他に三人姉妹がおり何かと気にかけてくれます。職場でも弟が障害を持っていることを隠す事なく、時に詰所へ連れて行く事も有りました。たまに透析の患者さんの行事に参加させてもらう事も有りました。そうできるようになったのも、知識と理解があったからです。偏見や嫌悪を抱く人はまだまだいますが、同じ位心から理解してくれる人もいます。なので、人と人の絆や相互理解を信じて、手を取り合って行けたらと思います。

佐藤かおり/女性と人権全国ネットワーク
尊い命を奪われた方々と最愛の人を失ったご家族のみなさまに哀悼の意を表します。負傷された方々の回復を心から願います。一人一人がかけがえのない大切な存在です。あるブログで目にした一文に「僕たちを大切にできる社会は、人の可能性を大切にできる社会ということになります。そんな簡単なことをどうして世の中の人はわからないのでしょうか。だから僕たちはなかなか伝える方法がないけれど、大きな声を出して叫びたい。僕たちの生きる価値をどうかしっかりと理解して、世の中の人すぺてを大切にしてほしい。」と書かれていました。この世の中で、誰一人、暴力を受けていい人はいないのです。これからも、「あらゆる暴力、あらゆる差別の根絶する」活動に取り組んでいきます。

藤永 忠/宮前区聴力障害者協会
聴覚障害者として、今までも社会の中での差別を感じてきました。
また聴覚障害と知的障害を併せ持つ方々の施設の職員の経験も有ります。
そのふたつの立場から、今回のことはとても残念で、また憤りを感じます。
なぜ、こんなことが有ったのか。徹底的に解明されることを望みますし、
また、こんなことが二度と起こらないことを願います。”

寺本 靖/技術士事務所 所長
39歳の知的障害者の74歳の父親です。短期入所で「津久井やまゆり園」同様の施設を利用しております。近い将来、入所させて頂く事に成ると思います。この事件の加害者の様な思想・信条の存在は特別な事では無く、日本の様な安定した国で、一度に多数の犠牲者が発生したために、世界的なニュースに成っています。かく言う私も、娘が誕生したその日から、この子を憎しむ気持ちが湧いてきたら、自分のそれ迄の人生さえも疑いを持って見ざるを得ないと思い、数カ月間恐怖心に圧し潰されそうでした。親ですら、そんな考えを持ってしまったのですから・・・。娘と健常者との相互の友情は、現在でも続いています。親の欲目かもしれませんが、娘から健常者へのプレゼントの方が遥かに大きいと感じています。ですから、隔離をしない方向で、より成熟した「日本」に成る事を切望しております。

高信 亮(たかのぶ・まこと)/慶應義塾大学文学部生(哲学専攻)、日蓮正宗常泉寺信徒、精神障害当事者
私は精神障害の当事者として、現在、就労支援施設に通っています。私の通う施設では、20名くらいの利用者に対して、4名の職員がいました。そのうち1名の職員の方が、突然6月末に退職されてしまいました。
退職した職員は、福祉関係の資格も何も持っていませんでしたが、温厚な性格で、どんな利用者に対しても粘り強く誠実に接してくれる方で、他の職員、利用者からも尊敬されていて、みな別れを惜しんでいました。
利用者の中には、知的障害の方もいます。ある女性はその退職された方が出勤してこないことをなかなか受容できずにいました。
そこへ、今回のテロが起きました。
先ほどの知的障害の女性は、退職されたその職員の名前をぱったりと口にしなくなってしまいました。いいえ、その女性だけではありません。他の利用者もその退職された方の名前を口にするのを避けるようになってしまいました。
植松容疑者は、襲撃された施設の元職員として、利用者からは信頼を得ていたのでしょう。犯行に使われたのはまさしく、その信頼だったのではないでしょうか。容疑者は信頼を逆手にとって、ほぼ無抵抗の利用者を殺りくしていったのではないでしょうか。
踏み台にされ、ズタズタにされた、施設職員と、利用者のあいだの信頼。今回のテロは利用者と、職員のあいだに恐怖という国境線を作ってしまったのです。これは津久井やまゆり園や、私の通っている施設だけではなく、他の障害者施設でも同じなのではないでしょうか。
恐怖という国境線は、単なる犯罪対策の強化で、解消できるものではありません。

浦野 茂/三重県立看護大学教授
お亡くなりになった皆さまのご冥福をお祈り申し上げます。そして、大切にされていた方々をこの事件によって失われた皆さまにお悔やみ申し上げます。
お亡くなりになった方々の毎日の生活がいかに尊いものであったのか。そしてこの生活がこのような形で失われるべき道理など微塵もないこと。きわめて当たり前な、けれどもだからこそ素通りしがちなこのことを、それぞれがあらためて声に出し、公共空間の記憶に刻み込んでおくことが、この社会に暮らす私たちに今必要なことであると私は考えます。そしてこのことを通して、ともに暮らすさまざまな異なる人びとと自分自身とに対して、私たちがあらためて信頼の置けるような社会が実現することを願っています。

森田 和美/法政大学 現代福祉学部 助教
突然命を奪われた方々のご冥福をお祈りします。
色々な思いが交錯して、これ以上の言葉はまだ思い浮かびません…。

青山和佳/東京大学東洋文化研究所・准教授
今回の事件について、強い衝撃を受けました。犠牲となった方お一人おひとりに心より哀悼の意を表します。わたしたちは、さまざまな障害や疾病をもっていても、あるいはいまはもっていなくても、ともに等しくこの社会に在って、安心して幸せに暮らす権利があります。わたしたちはまた、それぞれに悩みもあり、傷つきやすく、脆弱です。だからこそ、互いに排除しあうのではなく、たとえ理解しあえなくても互いの生命を尊重しあい、傷つけ合わなくてすむ未来を創っていく必要があります。極めて苦しい状況ではありますが、ここからまた始めることで希望はまた戻ってきますし、わたしたちはそれを育てていけるはずと信じています。

天田城介/中央大学
少なくないメディアで誤った内容や筋道で事件が報道されている。ここでこそ、私たちは優生思想・優生主義についてきちんと立ち止まって考え、なすべきことをなすべきだ。幸いにもすでに多くを考えるべきことを考え、なすべきことをなしてきた人たちがいる。そこから私たちは学ぶべきを学ぶことができる。

木村草太/首都大学東京教授(憲法学)
すべての人の命は尊い。国家の都合で価値ある命とそうでない命とが選択されることなどあってはなりません。憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される。」の意味をもっと伝えていかねばならないと思います。

Sakakibara/言語聴覚士
「障害者」というラベルに「あちら側」の含みがあると感じる。ヒトは必ず死ぬが、その前はほとんどの方が「中途障害者」。とすれば、「いつか」が異なるだけで、「あちら側」ではなく「連続するところ」という考え方をしてみては、どうか?

花井 丈夫/重症心身障害理学療法研究会 代表 理学療法士
障がいのある彼らを大切に思っている人々の一員として、我々の社会が彼らを護ることができなかったことに、強い悲しみを感じています。障がいがあるということは、人々が信頼なくしては生きていけないということを意味していると、障がいを否定することは人と人の信頼を否定することと等しいと感じます。その当たり前のことを、社会のいろいろなところに伝えていきたいと思います。

齊藤 真拓/鳥取大学
この度は、多くの方々が、尊いその命を落とされました。同じく障碍を持った者として、深い悲しみと、そして凶行に対する強い恐怖を感じています。今、世界中が、幸福のあり方を見失っています。余裕を失った人々が、自らが異質と見做した様々な人々に矛先を向け、暴力的な振る舞いを行っています。今回の事件で、人々がその考えのおぞましさに気づき、2度とこの様な事件が起こらない事を、切に願います。
皆様の御冥福をお祈りします。

安村弘/無職
意に反して生命を断たれたみなさまに心からの哀悼の気持ちをささげます。治療を受けておられる皆様のすみやかな快復を祈ります。

菊池 香織
年齢・性差・障害・病気・収入に関係なく、誰もが安心して暮らせる、互いに尊重し助け合える社会になりますように。
亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げます。”

鈴木みのり/売文業
わたしはMtFトランスジェンダーです。本件は、性的マイノリティのコミュニティが狙われた、フロリダ州オーランドでの銃乱射事件と重なって見え、わたしには無縁のものとは思えません。どんな理由があれど容疑者がしたとされる行為は裁かれるべきものです。しかし、ある性質を持つ人たちが社会から排除されたり、例外とされるとき、なぜ弱者になってしまうのか? と考えられることなく、「それはそういうものだから」とあらかじめカッコにくくられたままにしている社会ぜんたいの問題として、改めて考え直すことも同時に行わないといけないと感じます。多くの人々が暴力に傷つき、命を失った件を手がかりにしようとする恥知らずですが、亡くなられた人たちに哀悼の意を捧げ、生き残った人たちの回復を祈りながら、その存在がこの社会に等しくふくまれるにはどうすればいいのか、考えさせてもらいたいです。

大熊由紀子/ジャーナリスト/障害者の欠格条項をなくす会・共同代表
19人の方は、人里離れた旧来型施設に心ならずも連れて行かれた時点で、精神的には殺されていたのではないかとおもいます。
たとえば、街の中にある横浜の「訪問の家」や西宮の「青葉園」の利用者は、「やまゆり園」で殺された方々と同様に重度、重複の障害があり、ふつうの方法ではコミニュケーションできない身です。にもかかわらず、一人一人の個性を大切にされ、まちの人たちと交流し、輝いています。スタッフは、「自分自身も満たされている気持ちになります」「それで、給料をもらえるなんて幸せ」といいます。
犯人が、「訪問の家」や「青葉園」で働いていたら、「価値がないから殺す」という考えにとりつかれることはなかったことでしょう。
世界の精神科ベッドの2割という異常に多い精神科病棟から出られずにいる方々を見殺しにしている日本。これを機会に、そのことにも思いをはせ、行動に移すべきときだとおもいます。”

神永 れい子/クオータ制の実現をめざす会 主宰
後でも先でもなく同じ世代に共に生きる奇跡的な確率で誕生した私たち。
生命を絶たれてしまった19人の被害者の方々のご冥福をお祈りいたします。
生命を傷つけられてしまった被害者の方々のご回復をお祈りいたします。
ご家族や身近で親しい方々のご心痛は如何ばかりかとお見舞い申し上げます。
原始の遺跡からは障碍のまま成長し天寿を迎えた遺骨が発見されています。
部族間の争いや国家間の戦争、植民地支配や独立、現在は2度の大戦を経て
平和を求め、「平和であるための平等」を求め、人類は長い歴史を通して
「天賦の人権を認識し尊重しあう」ところまで進化してきました。
人間は動物として非常に未熟な状態で生まれ、権力者だって怪我や病気をし、
年を重ねて老い、等しく死を迎えます。人知が及ばぬ自然災害もありますが、
事故や犯罪は防ぐことができます。今回の犯罪は、政治の歪が社会に溜り
凝縮して破裂したように思います。主権者の一人として責任を覚えています。”

坪井久美子
心より御冥福をお祈りすると共に、二度とこのような傷ましい事が起こらないようにしたいと念願しております。

加藤真規子/NPO精神障害者ピアサポートセンターこらーるたいとう代表
殺傷された方々と同じ立ち位置で感じ、考えることが大切だと思います。施設や精神科病院ではなく、地域で暮らす人間関係や術、制度を作っていく方向性を大切にして活動を続けていくこと、そして様々な人々と繋がっていきたいとこらーるたいとうでは確認しあいました。犠牲になった方々は名前があり、尊いいのち、人生であった方々です。お名前や人生を公表して頂きたいとご家族に切にお願いしたいです。今のままではあまりにも残念です。

土橋圭子/愛知県立春日台特別支援学校教諭
津久井やまゆり園の19名の方々の尊い命が突然奪われましたこのたびの思いがけない悲報に、大変心が痛み、こんなにも悲しいことはありません。心から亡くなられました皆様のご冥福をお祈り致します。
また、心身に深い傷を受けられました被害者の皆様の、一日も早いご回復を願ってやみません。

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メッセージ国内編その1
メッセージ国内編その2
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メッセージ国内編その5
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メッセージ海外編その1
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メッセージ海外編その3
メッセージ海外編その4
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